今から50年前の今夜、1971年12月24日、私は同じ劇団にいた星野と新宿の喫茶店にいた。
彼は、大学を5年で出て、製薬会社に就職していたが、私はまだ大学の6年目で、共に女もいないので会っていたのだ。
夜、7時過ぎ、喫茶店の前の道をまず救急車が行き、消防車そして機動隊の車が行った。
「これは何か起きたな」と新宿駅近くに来ると、伊勢丹の前の交番が黒山の人だかりで、そこにはすごい臭いがただよっていて、爆発部のような砂利、小石が散らばっていた。
「クリスマスツリー爆弾事件」である。
後に犯人は逮捕されたが、新劇人反戦に属していた者が被告にいた。
劇研で私の一つ下にいて、後に横浜のパシフィコ横浜のオープニングイベントとして「ウォーマッド横浜」の制作・演出をやってくれた田村光男も、そのグループの近くにいたと後で聞いた。
後に、ウォーマッド横浜が駄目になり、それでも年に何回か会っているとき、昨日はツリー爆弾事件の被告が刑期を終えて出てきたので、皆でお祝いをしたと言っていた。
その田村光男も、2014年に亡くなってしまった。
あの事件から、もう50年が経過したことになるのか。