「地域割り」か「職場割か」と言うのは、横浜のような地域での選挙の時の方法である。
これは、一つの選挙区で同じ党から複数の候補者が出るときの話であり、、昔の中選挙区時代の衆議院選挙のことでもある。
地域割りというのは、簡単で自民党は大体これだった。
横浜で言えば、大体は連合町内会単位当たりに、A議員はA連合、B議員はB連合とするわけで、その連合の人口は確定しているので、比較的正確に区割りできる。そこに、議員ごとに関係のある医師会とか建設業者等を加えれば良い。
この地域割りができないのが社会党で、元が労組なので、地域と関係がない。
官舎や寮などがあるところでは可能だが、社会党では地域割りは難しく、ほとんどが職場割である。
官公労はA議員、民間労組はB議員という風に。
ただ、社会党でもベテラン議員になると地域との繋がりもできて、これが大きくなる。
大久保英太郎市会議長は良く言っていた、
「昭和46年の分区の時、俺は旭区に5000票置いてきたので、保土ケ谷区では大変だった」
これはもともとは、旭区になったエリアに5000票あったが、分区されたのでなくなったと言うことだ。
その性か、46年春の選挙の時、旭区の社会党の石崎武という議員は、旧大久保英太郎さんの票も加算されたのか、1万票を越えた得票で、市会議員の全国最高得票だったそうだ。
その性か、石崎議員はいつもえばっていて、市会では大変に評判が悪かった。
後に、市会を引退した後、私が総務局国際室にいると、昔から知っているので、月に1回くらい電話が掛かってきた。
いつも、端的に言えば老人のグチで、まことに参ったものだった。
元市会事務局長だった井上三男さんが、この石崎先生が大嫌いで、
「つまんねこと言うなって言うんだ、70を越えたんだから家で孫の世話をしていれば良いんだ・・・」
井上さんによれば、「石崎は女を作ったので、金に困っていろいろ詰まらないことを言ってくるのさ」
この井上さんは、退職後は、市関係ではなく民間企業に行ったが、比較的早くに亡くなられた。
人生いろいろである。