「砂上の楼閣」と言う言葉があるが、この劇は「誤解の上の楼閣」とでも言うべきだろう。
なんの誤解か、この劇の天使は、ヤクザの松永(桐谷健太)ではなく、医者の真田(高橋克典)だということを、結局作者たちがよくつかんでいないのだと思う。
実は、私も黒澤明監督の映画を見て、当初、主役の酔いどれ天使は、三船敏郎が演じる若いヤクザのことだと思っていた。
だが、主人公の酔いどれ天使は、志村喬が演じた場末の医者なのだ。
脚本は、そのように書かれていたが、実際は三船敏郎の演技が圧倒的で、主役に見えてしまうようになったのだ。
この映画は、よく知られているように、映画『新馬鹿時代』で、闇市の巨大なセットと沼を作ったことから、「それを再利用して映画をもう1本作ろう」との発想から創作された。
松永は、闇市のボスとして君臨しているが、真田が診察すると末期の結核に冒されている。
そこに元のボスの三田(高橋政宏)が戻って来て、松永との争いになり、すべての者に背かれて松永は、三田を刺し殺すが、自分も死ぬ。
映画では、まるで近松の『女殺油地獄』のように、工事現場の白いペンキだらけになって、三船と山本礼三郎が死んでゆく。
最後まで見ていて、この劇の主人公で、酔いどれ天使は、どう見ても高橋には見えないのだ。
何故だろうか。
やはり、桐谷健太が、当然だが三船敏郎の迫力に及ばなかったからだろうと思う。
真田の診療所の女の田畑智子と婆さんの梅沢昌代が救いだった。
最後の、松永と三田の格闘をなぜもっとケレンで描かなかったのか、非常に不思議だった。
映画のように白ペンキの格闘で、松永の赤い血が飛び散ると言うように。
演出三池崇史、脚本蓬莱竜太
明治座