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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『熱海殺人事件』を見て考えたこと 安部晋三、麻生太郎が嫌いな理由

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文学座で『熱海殺人事件』が上演されるので見に行く。信濃町の文学座アトリエの周囲には、行く度に創価学会のビルが増えていく。

私は、この劇を見るのは初めてなのだ。1973年に雑誌『新劇』に出た戯曲は読んでいて、驚嘆したので、見に行くことが怖かったのだ。つかに完全に圧倒されるのが。

 

        

今回の結果は、と言えば残念ながら少しも面白くなかった。それは、演出の稲葉賀恵と役者たちの責任ではなく、時代の変化だろうと思えた。

なぜなら、ここには屈辱感、屈折、逆な意味の羞恥心と言ったものがどこにもなかったからだ。

若者の持つ屈辱感のない「つかこうへい作品」など、どこにも意味はない。

前に、私はつかこうへい作品について、以下のように書いた。

1980年代に紀伊国屋ホールで、つかこうへい事務所の劇が大当した理由もよくわかる。それは、風間、平田、柄本明、加藤健一らの屈折した内面に入り込み、そこをえぐり出すものだから、若者に大いに受けたのである。なぜなら、普通の若者は、いつも屈折し、内面に解放されないものを抱えているものだからだ。
その意味で、21世紀になり、多くの若者の中に、そうした屈辱感がなくなっように見える今日、つかが亡くなられたのも、時代にあったものと言えるかもしれない。その意味で、つかの口だて芝居は、大衆演劇の世界で行われる口だてとは全く意味が違うのである。私は、むしろ映画監督溝口健二がやった演出法に近いのではないかと思う。多くのスタッフ、キャストの証言にあるように、溝口健二は、撮影にあたって常に、まず役者に何度もリハーサルさせた上で、脚本を依田義賢らと現場で再検討した。要は、それは役者の内部からセリフや行動が出てきているのか、という役者の中にドラマを発見する過程だったのである。

 

そして、見ていて、私が、以前から安部晋三と麻生太郎が嫌いな理由がよく分った。それは、この二人には、本質的に羞恥心がないからである。そこが嫌いなのだ。


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