これは菅義偉内閣退陣ではなく、安部内閣退陣である。
1年前の安部内閣退陣は、安部晋三路線の破綻だったが、その後継として菅義偉という無思想な人間しか見つけられなかったことは、安部路線の矛盾を表現している。
安部晋三のスローガンの「日本を取り戻す」の矛盾である。戦後、ほぼ一貫して自民党が政治を行って来たのだから、それを否定するのは、自民党政治を否定することである。この矛盾に安部晋三は気づいていないのだから、ひどい。
だから、彼は、ことあるごとに説明しない政治を行って来た。説明出来ないからである。
アベのマスクは、その典型だったが、これも安部路線の経済政策としては新自由主義、政治的には復古主義の現れだった。
菅義偉首相が最初に言った言葉が、「自助、共助、公助、そして絆」だったことも象徴的だ。
コロナという、国民的医療対策の必要な時、まさに政府の責任が問われているときに、自助の政権がいたのはひどい。
当初、菅義偉首相は、9月12日の緊急事態期間が切れ、自民党の総裁選告示の17日までの間に、解散総選挙をやり、それで自民党総裁選をなくしてしまう決意だったそうだ。
だが、それはあまりにも自分勝手とのことで駄目になったようだ。おそらく公明党の反対もあったと思う。