横浜市会事務局長だった高城一郎さんが、定年退職後に行かれたのが神奈川県匡済会で、ここは関東大震災の時の義援金で作られたと書いた。
だがネットで法人の沿革を調べると、1918年の米騒動の時に、市内の篤志家によって設立された法人が始まりだった。
その後、関東大震災の時に世界中から寄せられた義援金も、ここに寄託されたのだった。
米騒動は、日本の近代史では大事件で、特に前年の1917年にロシア革命が起きていたので、日本の支配層は驚愕したのだ。
そして、このとき出来たものが、三つあり、中央市場の設立、米の管理制度、いわゆる食管制度の整備、そして同和対策だった。
中央市場は大都市にはすぐに出来たのだが、食糧管理制度の整備はなかなか進まず、最終的には戦時体制でやっと整備され、「米穀通帳制度」になる。
いずれも、日本の社会には大きな制度改革で、その一つとして、神奈川県では匡済会の前身の法人の設立もあったわけだ。