今週は、夏休みの最後の週で、昔は、太洋は巨人戦を組んでいた。
もちろん、まだ川崎球場の時代である。
たぶん、金曜日の午後、私は夏休みを午後にとって、川崎球場に巨人戦を見に行った。
1塁側のスタンドの上の方にいた。そして、7回のイニングの間にスタンドの下を見ると局長が歩いていた。
高城市会事務局長である。局長も休みを取ったのかと思うが、すぐ隣に中学生くらいの男子がいた。
「ああ、これが愛人の子か」と思った。
高城局長は、元は総務局と財政局にいて、将来は助役と言われた人だったようだ。
そして、財政局の庶務係長をやっている時、係員の女性が病気になって休みになってしまった。
たぶん、結核だと思うが、やさしい高城さんは、親身になってその女性の面倒を見て、ついには彼女の生活まで面倒見ることになったのだそうだ。
もちろん、局長には、家族はいたのだが。
そして、当然にも子供が出来てしまったのだそうだ。
高城さんは、優秀な方だったので、順調に出世し、市会事務局長の要職に就かれ、次は助役候補の一人と言われた。
だが、結局助役にはならずに退職されたが、その理由は女性問題だという人があった。
高城さんは、県匡斉会という法人に行かれた。ここは有名ではないが、関東大震災の時の義援金を法人化した団体で、非常に財政的に豊かで有名だった。
昔は、横浜駅西口に本部ビルがあり、相鉄等が入居していたこともあり、そこが新都市ビルになった時、財産交換でビルに部屋を持っていた。現在では、横浜市内にいくつかの特養ホーム等も運営している法人である。
「給与が非常に良いんだよ」と言っている方もあった。
「へえ」と思ったが、まあそんなものだろうと思う。一応は、助役候補だったのだから、良いところを世話してもらったのだろうと思う。
この高城さんも、20年くらい前に亡くなられた。葬式に行くと、20すぎくらいの女の子がいて、この人は本妻の方の子だなと思った。