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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『華のスミカ』

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監督の林隆太は、15歳まで自分が中国系だと知らなかったそうだ。

そして、父が1960年代に、「紅衛兵」として横浜で活動していたことを1枚の写真で知る。

当時の中国は、文化大革命の時代で、毛沢東の指導の下で、権力者を糾弾するという奇妙な運動が行われていた。この運動の奇妙さは、最高権力者が「権力を壊せ」と扇動するもので、このおかしさは、かつて安部晋三が「日本を取り戻す」と言ったことと同様のおかしさだった。戦後の日本は、自民党が権力を握ってきたのに、なぜ自民党が日本を取り戻すと言うのか。社会党が言うなら分るが。

この文化大革命は、今日では、経済政策の失敗から権力を失った毛沢東の、周恩来以下の実務派との権力闘争であることが分っているが。

 

             

映画の中で、中心となるのは、1950年代に横浜中華街の中華学院から、台湾の中華民国の指示で「大陸派」が追放される件から始まる。

その中心の一人が、費(フェイ)さんで、私もよく知っている方だった。彼の家は理容師だったが、それを嫌って学院の教師になる。そして、大陸、中国派は、中華街の横浜中華学院から追われる。

中国派は、山手に横浜山手中華学校を作り、費さんも移る。

その後、費さんは、中国語の通訳となり、横浜市の公式行事に帯同することになる。

1970年代に、彼が最初に中国に行ったのは、横浜市代表団の通訳で、それらの写真には、当時助役だった大場さんや、市長室長の吉田さんの姿が見える。

私も総務局国際室時代は、中国担当課長だったので、いつも費さんに通訳してもらっていたし、一緒に上海に行ったことがあると思う。

その費さんも、2,018年に亡くなったそうだ。

今日でも、中国派と台湾派の対立は、中華街でもあるようだ。

また、巷では、台湾をめぐって米中が戦争するとの予測のあるようだ。

だが、私は、大陸も台湾も、世界で最も「資本主義的」なところなので、表面的には対立しても、本音では相通じていくものだと思う。

 

 

 


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