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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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駐屯軍の根拠は、北京議定書だった

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先週の木曜日は、「日中戦争と昭和天皇」の3回目で、盧溝橋事件だった。

1937年7月7日夜、北京郊外に駐屯する支那駐屯軍が夜間演習中に銃弾が込まれ、兵士が一人行方不明になった。

これが、その後の日中戦争の始まりで、最初の一発を誰がはなったかには、諸説ある。

中国、日本側によって説は違うが、秦郁彦先生は、国民党内の共産軍ではないかとしている。

だが、どれも意図的なものではなく、現地も陸軍中央も事件不拡大方針だった。

これが、拡大してしまうのは、陸軍内の分裂から来ているが、これについては触れない。

 

        

さて、この駐屯軍がいた根拠が、1901年の義和団事件の後に、清と連合国の間に結ばれた「北京議定書」だったというのだから驚いてしまう。

つまり、義和団事件で、自国民や宣教師が殺されたので、自国民保護で連合国側は駐屯する権利を得たのだ。

だが、それを1930年代まで行使していたのが日本だけで、これは大問題だったはずだ。

同様に、日本は1917年のロシア革命の時も、白軍を支援するために、シベリア出兵をして最後まで大軍を置いていた。

実に、「火事場泥棒」のようなやり方であり、中国の民衆から強い反発を受けたのも当然だろう。

抗日、反日運動が起きたのも当然であり、それは現在の日本の米軍の姿を見れば、容易に理解できる。

沖縄には米軍基地があるが、日本の基地反対運動に対して、米軍が基地から出て反対派と衝突したことはない。

それは、日本の主権の侵害になるからである。だが、日本がやっていたのは、中国の主権の侵害だったことに気が付かなかったことはひどいことだと思う。

 


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