早稲田は、変な大学で、4年生以上は体育の授業を夏休みの促成授業で単位を取得できるようになっていた。
就職が決まっているのに、単位不足で卒業できないのはまずいとのことからだろうと思う。
私も、4年のとき、夏に促成授業でボクシングを取ったが、教授は白鳥金丸先生だった。
白鳥先生は、「日本で最初にボクシングで金メダルを取ると言われていた方だった」
1964年の東京オリンピックの時である。
彼は、早稲田大学の学生だったが、ハードパンチャーで、日本のアマチュアボクシングには珍しい選手だった。
だが、彼はライト級の2回戦でメキシコの若者に負けてしまった。
その理由を彼は、正直に教えてくれた。
第一は、外国人選手の態度の大きさ、平気で選手村の芝生の上で性交するなどで、純情だった白鳥選手は度肝を抜かれる日々だった。
その上に、試合前日に、「バンタム級の桜井孝雄が、選手村にいない」との大騒ぎになった。
ボクシングの主将だった白鳥君は、選手村等を夜中まで探し廻った。
すると、桜井孝雄は、渋谷のバーで酒を飲んでいたとのこと。
こうした騒動で、白鳥先生は、調子をこわして負けたとのことだ。
一方、桜井孝雄は、バンタム級で優勝して金メダルを取ったのだ。
日本のボクシングで、数少ない金メダルだが、選手村を抜け出して遊ぶ等の大胆さがないと金メダルは取れないと言うことだろうか。
桜井は、プロに転向し、東洋バンタム級チャンピオンになり、世界タイトルにも挑戦したが、取れずに引退された。
彼は、その後高田馬場に、「メダリスト」という喫茶店を開いていて、私も一度行ったことがある。
桜井孝雄も、2012年1月に亡くなったが、日本ボクシング界で最初の金メダリストの記録は残っている。