先日の党首討論で、いきなり菅義偉首相が言い出したのは、1964年東京オリンピックの時の柔道無差別級の決勝戦のことだった。
オランダのへーシンクが、勝って驚喜したオランダの人が畳に上がろうとしたのを制止したのが、柔道精神だと言った。
このとき、へーシンクに押さえ込まれたのは、神永昭夫で、彼は明大を出た後、富士製鉄(新日鉄)に入った。
パシフィコ横浜のオフィスが、まだ関内の市役所の前のビルにあったので、1989年頃だと思うが、新日鉄から来ている山中課長の紹介で、社長室で高木社長にかなり長く説明している男がいた。
部屋を出るとき、山中課長は言った「神永ですよ」
私は口をきかなかったが、非常に大人しくて真面目な人のように見えた。
当時、新日鉄は、大規模コンベンション施設等への飲食事業を企画していて、その担当が神永昭夫さんだったのだ。
スカイラークと共同出資して「二ラックス」という会社を作り、首都圏のコンベンション施設に精力的に営業していたわけだ。
そして、希望通り幕張メッセでは、出展することができ、日経新聞では「新規事業成功の見本」として高く評価されたようだ。
だが、パシフィコ横浜では、飲食施設は、地元企業中心になったので、二ラックスはお呼びでなかった。
その後、やはり「鉄屋は鉄屋」で、所詮飲食業は無理で、新日鉄は株を全部売却してスカイラークの完全子会社になったとのことだ。
神永さんのご努力は報われなかったことになるが、まあ鉄屋は鉄屋であると言うべきか。