昨日の夜は、家に戻ってからオリンピック開会式を見たが、これほどつまらないのも珍しい。
最初の方に、ルームランナーを走るランナーが出てきた。
昔、横浜市に宮原さんという助役がいて、ある講演で、「ルームランナー型管理職」を指摘していた。
自分は、懸命に走っているが、動いているのは自分の足だけで、周りはなにも動いていない。
このルームランナーは、今回のオリンピックの本質を現わしていると思えた。
組織委員会などは、懸命に走っているのだろうが、誰にも影響を与えず、感動はどこにもないのだ。
結局、この五輪は、最初の言い出しっぺが石原慎太郎で、都知事選の3期目に出るとき、なにも公約がなかったので、五輪誘致を言い出した邪道から始まったことが諸悪の根源なのだ。
だから、ここにはなにも世界に向けて言うべきメッセージがないので、式のテーマがない。
また、ドラマに必要な悪や反対物がないので、劇としての盛り上がりもない。アナウンサーの説明を聞いて意味がやっと分かるなんて、表現力が不足している証拠。
聖火リレーもひどくて、最初が野村忠宏・吉田沙保里はよいとしても、長嶋・王・松井はなんだ!
王と松井はアメリカ人は知っているとしても、長嶋なんて誰が知っているのか、野球は世界的には極めてマイナーなスポーツなのを知らないのか。
そこから、医療従事者、東北の子供、パラリンピック走者との偽善的にはさらに参る。この辺の偽善性は、NHK的だ。これを演出したのは、佐々木等ではなく、元NHKの連中ではないだろうか。
最後は、大坂なおみで、これなら最初から彼女にして走らせれば良かったと思う。
橋本聖子のつまらない挨拶の後の、バッハの長広舌はなんだ!
しきりに「連帯」を連呼しているのが実に不快で、逆にIOCの孤立が見えた。
いずれにしても、意味のない五輪であることが、ここで明確になった。