1974年、当時最盛期の日活が、ポルノではなく一般映画として公開したもの。私は、1974年に川崎名画座で『愛と死を見つめて』の2本立てで見ている。
秋吉久美子、藤田敏八の作品の最初のもので、脚本は中島丈博、桃井章で、他の2作『妹』、『バージンブルース』の脚本が内田栄一であるのと違っている。
この藤田作品を見ると、彼も松竹の系譜にあるなと思う。もちろん、藤田は松竹とは関係ない。ただ、彼が助監督として付いた蔵原惟繕は、松竹京都の監督であり、松竹の匂いを持っている。
吉村公三郎によれば、「映画で重要なことは、風俗を描くことだ」と島津保次郎に言われたそうだ。
この藤田敏八作品を見ると、1970年代の風俗がよく描かれていると思う。
また、これはポルノではないので、多彩な役者が出ている。
最初に、高岡健二が住んでいるバッティングセンターに付属した部屋の管理人は、小松方正。
2軒目に行く木造アパートの管理人は、俳優座の三戸部スエ。3軒目の郊外のアパートのそれは、悠木千帆で、最後の葛飾のボロ長屋の隣の主婦は、南風洋子で、その夫は陶隆。
米屋の配達で、秋吉にビール瓶で殴られるのは弘松三郎と昔の日活の俳優も多数出ている。
また、秋吉が勤めているスーパーの同僚は、山科ユリ、高岡が勤めている立体駐車場の同僚は、河原崎長一郎で、その恋人は横山リエ。2軒目のアパートに以前住んでいたとして部屋に入り込んで来るのは長門裕之である。
ただ、この作品の真ん中あたりで、秋吉、高岡、河原崎、横山、そして長門が海に遊びに行く。
この辺の感じは、家族がなくなり仲間社会になるのでは藤田も思っていたのかという気がする。
それは、1971年の寺山修司の『書を捨てよ町に出よ』でも、平泉征が言っていたことばであり、
「家族はなくなり、みんな仲間になるのではないかなあ」と言っていた。
そんなことは勿論なかったが、この作品の最後では、秋吉は精神を病み、高岡は一人で子育てをすることになる。
最後の葛飾の工場の行員で、山本コータローが出ていたが、河原崎を逮捕する刑事の一人は内田栄一のように見えたが。
チャンネルNECO