先日の山田洋次特集で、少しだけ城戸四郎に触れていたが、以前の番組や伝記では、城戸について詳しく言っていた。
それは、城戸の江戸っ子としての気質で、「マジめなことが嫌いで、落語的なマジが大嫌いであった」と言っていた。
「それは、われわれはもともと大したことをしていないだろう、だから物事を真面目には見ず、しない」と言うことである。
それは、江戸時代以来の戯作者の精神に通じるものではないかとも言っている。
だから、城戸が嫌いなのは、日活現代劇で、「また、百姓映画か」と言い、小津作品についても、
「また、女の股ぐらを覗く映画か」と批評したそうだ。
1950年代に、黒澤明が松竹で映画を撮った時は、「黒澤は、卑怯だ」と言ったそうだ。
それは、黒澤が本番を一発で撮らないことで、なんテークも撮って編集段階で決めることだそうだ。
これは、今井正も本番30回何度と言うことがあったそうで、東宝と松竹の作り方の違いである。
貧乏と裕福の差かもしれないが。
東宝は、島津保次郎が松竹から行き、東宝映画の基礎を作ったので、松竹的なところがある。
だが、黒澤明は、松竹的ではなく、日活の真面目な百姓映画的なところがあり、内田叶夢などに一番近いと私は思うのだ。