昨日は、南地区センターで『映画は都市のアルバム』の南区版をやった。
暑い日だったが、多くの人に来ていただいた。
この日は、映像が多くて上映できなかったが、このためにあらためて1964年の『愛と死をみつめて』を何度か見直した。
1964年度の最高のヒット作は、言うまでもなく市川崑総監督の『東京オリンピック』だが、これに次いで大ヒットだったのは、斎藤武市監督、吉永小百合、浜田光夫共演の『愛と死をみつめて』だったのだ。
よく知られているように、これはテレビの東芝日曜劇場で、大空真弓と山本学で作られてヒットになり、映画化されたものだ。
このとき、監督が斎藤武市と聞き、「渡り鳥シリーズの監督がやるの」と思ったが、実は斎藤武市は、元松竹で小津安二郎のセカンド助監督を務めて来た人なのだ。
斎藤は、田中絹代が小津作のシナリオの『月は上りぬ』を日活で監督することになったとき、小津から田中への「監視役」として送り込まれた人なのだ。
この映画『月は上りぬ』は、今見ると非常に小津安二郎的な作品で、「日活で小津作品を見ている」ような映画なのである。
さて、『愛と死をみつめて』の脚本は、大脚本家の八木保太郎で、実に上手く構成されている。
序盤は、吉永と浜田で、二人の馴れ初めや吉永の病歴を淡々と描く。
当初は、個室にいるが、途中で大部屋に移る。
すると、そこには都蝶々、笠置シズ子、北林谷栄の女性患者がいて、笠置が都の創価学会信仰を笑うなど、ここは非常に面白いところだ。
そして、父親の笠智衆と、二度目の手術を前にして、二人で夜の大阪を車で廻るところや、浜田と吉永が病院の屋上から外を見て『川は流れる』を歌うところも非常に抒情的。
これは、仲宗根美樹でヒットしたものだが、これは大阪が発祥の歌で、この辺も実に良い。
最後、大島みち子さんは、1963年8月に骨肉腫で死んでしまう。
西河克巳によれば、「メロドラマは、戦争や革命のような大事件ガナイト成立せず、今は難病ものしかない」
そうで、『風と共に去りぬ』も『君の名は』も戦争による悲劇である。
そして、この『愛と死をみつめて』は難病もの典型である。