1961年の新東宝映画、前年1960年12月に、大蔵貢社長が退陣し、再建を図るが、1961年5月に製作停止となる、『北上川悲歌』の一つ前の作品。脚本は、石井輝男と武部弘通で、石井の助監督だった武部の監督昇進作品で、「ラインシリーズ」の最後の作品。
舞台は、川崎で、二つのやくざが対立していて、吉田輝男は、流れ者風の天知茂と協力して、拳銃の売買を横取りすることを計画する。天知は、その金でブラジルに行こうと思っている。この辺の感じは、日活によく似ている。冒頭で、吉田らは、競馬場で詐欺的行為をするが、ここは川崎競馬場のようだ。やくざの一方の親分が田崎潤で、その情婦が三原葉子、対立する組のボスは大友純である。吉田に惚れている子が、映画館のもぎりで、この館は、平和通りの川崎国際劇場のように思える。その他、多くは川崎で撮影されているが、港を見下ろす丘で、吉田、天知、三原が会うシーンがあり、ここは横浜の港の見える丘で、下では山下埠頭の埋立てをやっている。1961年は、まだ山下埠頭は、埋立て工事の最中だった。最後、田崎が拳銃を隠している倉庫で、アクションが行われるが、そこは出田町埠頭の青果上屋のように見える。この時期は、まだ出田町か高島しか、大きな上屋はなかったのだから。田崎の子分に、成瀬昌彦がいて、こんな新劇(青年座)の大物がいるのは何かあるなと思うと、成瀬は、田崎を裏切って吉田らと拳銃の取引をしよう企んでいる。だが、それを三原から田崎に知らされて、あっさり田崎らに殺されてしまう。成瀬昌彦はニヒルな風貌で、テレビにはよく出ていたが、新東宝では珍しいと思う。最後、二つの組が衝突する中で、吉田輝男と天知茂は、生き残り、さてどうするかと言うところで終わり。石井輝男は、師匠の渡辺邦男に似て、勧善懲悪的なところがあるが、さらに石井輝男の弟子の武部監督にも、同様な傾向があるのは興味深い。
舞台は、川崎で、二つのやくざが対立していて、吉田輝男は、流れ者風の天知茂と協力して、拳銃の売買を横取りすることを計画する。天知は、その金でブラジルに行こうと思っている。この辺の感じは、日活によく似ている。冒頭で、吉田らは、競馬場で詐欺的行為をするが、ここは川崎競馬場のようだ。やくざの一方の親分が田崎潤で、その情婦が三原葉子、対立する組のボスは大友純である。吉田に惚れている子が、映画館のもぎりで、この館は、平和通りの川崎国際劇場のように思える。その他、多くは川崎で撮影されているが、港を見下ろす丘で、吉田、天知、三原が会うシーンがあり、ここは横浜の港の見える丘で、下では山下埠頭の埋立てをやっている。1961年は、まだ山下埠頭は、埋立て工事の最中だった。最後、田崎が拳銃を隠している倉庫で、アクションが行われるが、そこは出田町埠頭の青果上屋のように見える。この時期は、まだ出田町か高島しか、大きな上屋はなかったのだから。田崎の子分に、成瀬昌彦がいて、こんな新劇(青年座)の大物がいるのは何かあるなと思うと、成瀬は、田崎を裏切って吉田らと拳銃の取引をしよう企んでいる。だが、それを三原から田崎に知らされて、あっさり田崎らに殺されてしまう。成瀬昌彦はニヒルな風貌で、テレビにはよく出ていたが、新東宝では珍しいと思う。最後、二つの組が衝突する中で、吉田輝男と天知茂は、生き残り、さてどうするかと言うところで終わり。石井輝男は、師匠の渡辺邦男に似て、勧善懲悪的なところがあるが、さらに石井輝男の弟子の武部監督にも、同様な傾向があるのは興味深い。