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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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母について・2

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母について、続いて書く。母は、「百姓であり、自作農だったことを誇りに思っていた」と書いた。百姓の生まれを誇りに思っていたと私が推測するのは、田植えのことだ。私が小学生時代の、1950年代は、鶴見区矢向でも田んぼがあり、6月頃には田植えをやっていた。母は、当時長男と言っても、弟だが、が持っていた田んぼの田植えに手伝いに行っていた。どこか喜んでやっていたように記憶している。母がよく言っていたのは、「田んぼの草取りが一番大変!」であり、田植えは面白かったかったようだ。
           もともと、南方で生まれた稲は、雑草が出てくるのが当然で、それを取るのは、重要で一大作業だったようだ。さて、自作農云々だが、これは皆忘れているが、戦前の日本の左翼運動の一つに小作の運動があり、小作争議がしばしば起きていた。そのように、日本でも農民は、左翼運動の重要な担い手だった。久保栄の名作『火山灰地』にも、それは出てくる。それが変わったのが、戦後の民主化政策の一つの「農地解放」である。これは、大土地所有を辞めさせて、小作人にまで農地を所有させるものにしたので、俗にマッカーサー指令だとされている。その通りだが、これが比較的スムーズにできたのは、大正以来からの農務省官僚(柳田国男もそうだ)の改革の研究があったからである。この結果、日本の農村は、自民党を中心とした保守層の拠点になったのである。因みに、母は政治的には父と同様で、穏健保守と言ったところだが、美濃部亮吉氏が都知事選挙に出てきた時は、熱烈な支持者だった。

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