先週の「『昭和天皇実録』が解き明かす昭和史の謎』は、満州事変に対しての国際連盟の調査とリットン報告書だった。リットン卿は、元々はイギリスのインド提督の息子で、インド生まれで、植民地行政に通じていた人だった。他に、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカの代表がいて、さらに当事者の日本と中国が入っていた。
内容は、中国の諸情勢を詳細に調査したもので、特に中国での排日運動も調べたものだった。外国勢力への反発は、当初は阿片戦争に見られるようにイギリスだったが、この時期になると日本が対象になっていた。その理由は、満州への日本系住民(日本人と朝鮮人)の増加だった。さらに、満州への中国人の移住も増えていて、現地で衝突が起きていた。要は、ナショナリズムの高揚だが、これは第一次世界大戦の結果で、欧州でもバルカン半島の小国も独立が起きていたのだ。こうした世界情勢の変化を日本は、分っていなかったと言うべきだろう。報告書と勧告は、日本に非常に寛容なもので、特にフランスは、現状をともかく容認し、満州を中国主権の下で、自治政府を作れば、と言うものだった。もちろん、それはイギリスやアメリカの反対で駄目になるが、いずれにしろ、日本の満州事変を許容する内容だったが、日本はこれを拒否してしまう。いかに、日本が冷静な判断を失っていたかを示すものだろう。
内容は、中国の諸情勢を詳細に調査したもので、特に中国での排日運動も調べたものだった。外国勢力への反発は、当初は阿片戦争に見られるようにイギリスだったが、この時期になると日本が対象になっていた。その理由は、満州への日本系住民(日本人と朝鮮人)の増加だった。さらに、満州への中国人の移住も増えていて、現地で衝突が起きていた。要は、ナショナリズムの高揚だが、これは第一次世界大戦の結果で、欧州でもバルカン半島の小国も独立が起きていたのだ。こうした世界情勢の変化を日本は、分っていなかったと言うべきだろう。報告書と勧告は、日本に非常に寛容なもので、特にフランスは、現状をともかく容認し、満州を中国主権の下で、自治政府を作れば、と言うものだった。もちろん、それはイギリスやアメリカの反対で駄目になるが、いずれにしろ、日本の満州事変を許容する内容だったが、日本はこれを拒否してしまう。いかに、日本が冷静な判断を失っていたかを示すものだろう。