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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『兵隊やくざ』

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この1965年の『兵隊やくざ』を高く評価したのは、「映画芸術」編集長小川徹で、私も早稲田映研がやった大隈講堂での映画会で聞いた。1966年11月1日で、この日は大島渚の『飼育』、深作欣二の『誇り高き挑戦』、吉田喜重の『秋津温泉』、『893愚連隊』が上映されたが、この選定は部長の梶間俊一さんと3年の曽根益男さんだったと思う。梶間さんは、今テレビで『おかしな刑事』シリーズの監督である。
                            
さて、小川が言うのは、この『兵隊やくざ』は、監督の増村保造にとって頭脳(田村高広)と肉体(勝新太郎)の二元論だと言うものだった。その通りだが、増村にとって肉体は、次第に女性そのものになり、若尾文子(『妻は告白する』)から、緑魔子(『大悪党』)、渥美まり(『でんきくらげ』、『しびれくらげ』)となっていく。テレビの『スチューアデス物語』の風間杜夫と堀ちえみも、この二元論である。増村にとって女性という肉体があったのは、大変に幸福で、東大法学部の同級生だった三島由紀夫は、有効な肉体を発見できず、ついには男集団の楯の会で、自死することになる。
この肉体と頭脳の二元論は、原作の有馬頼義などのインテリにとって、民衆とインテリの分裂だったと思う。有馬のようなインテリは、同時に上層に属する人で、下層の無智の者を愛好する。この二人の関係は、一種ボーイズラブのようにさえ見れるが、これはインテリの民衆への愛を表現するものだ。有馬頼義の父有馬頼寧氏は、大変に面白い人で、競馬の「有馬記念」のほか、今の日本ハムファイターズの源流である東京セネターズも自費で創設している。また、部落解放運動などの篤志活動をしている。この有馬頼義氏も、多彩な活動をしたが、最後は自殺したのは、これも民主社会に於ける「貴族の退場」の例だったと思える。
映画は、満州の部隊で出会った大宮喜三郎という元やくざの暴れ者・勝新太郎と、万年上等兵の有田・田村高広の劇を描くもの。ここでは、歩兵と砲兵の仲が悪いとか、炊事班は、乱暴者の集まりと言うような、軍隊を知らない我々には貴重な知識もある。日本映画専門チャンネル


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