千葉テレビの再放送の『女と刀』は、なかなか面白いが、先日はタイトルに岡田剛一さんの名があった。
大学1年のとき、学研の中学生雑誌でアルバイトをしていて、主に原稿取りで、東京のいろんな場所に行った。中で、レイアウトの原稿かなにかを中野あたりの喫茶店で受け取った。その相手が岡田剛一さんだった。そのとき、私が大学で演劇をやっていると言うと、「私も青俳にいたんだよ」と言った。そして、まだ東宝で演出家として活躍する前だが、「蜷川は偉くなったな・・・」とも言っていた。
この1966年頃は、劇団青俳は分裂し、蜷川幸雄、岡田英次らは現代人劇場をやっていた時で、その中で岡田さんらは、芝居をやめたのだろうと思う。同時期に、劇団の友人の星野も、同様にアルバイトで岡田さんに会ったことがあり、「芝居をやっていると、こんなにひどい暮らしになるのか」と感じて、芝居をやめ、製薬会社のプロパーになった。プロパーというのは、固有のと言う意味ではなく、プロパガンダ、宣伝の意味だそうだ。
さて、『女と刀』での岡田剛一さんだが、中原ひとみの子供(大きくなってからは池田秀一君)が、学校で山の子供たちを差別をする芦屋小雁の先生に対してストライキを首謀し、それに文句を言いに来る村人役だった。いずれにせよ、岡田さんはその後、なにをなされていたのだろうか、少々気になった。
大学1年のとき、学研の中学生雑誌でアルバイトをしていて、主に原稿取りで、東京のいろんな場所に行った。中で、レイアウトの原稿かなにかを中野あたりの喫茶店で受け取った。その相手が岡田剛一さんだった。そのとき、私が大学で演劇をやっていると言うと、「私も青俳にいたんだよ」と言った。そして、まだ東宝で演出家として活躍する前だが、「蜷川は偉くなったな・・・」とも言っていた。
この1966年頃は、劇団青俳は分裂し、蜷川幸雄、岡田英次らは現代人劇場をやっていた時で、その中で岡田さんらは、芝居をやめたのだろうと思う。同時期に、劇団の友人の星野も、同様にアルバイトで岡田さんに会ったことがあり、「芝居をやっていると、こんなにひどい暮らしになるのか」と感じて、芝居をやめ、製薬会社のプロパーになった。プロパーというのは、固有のと言う意味ではなく、プロパガンダ、宣伝の意味だそうだ。
さて、『女と刀』での岡田剛一さんだが、中原ひとみの子供(大きくなってからは池田秀一君)が、学校で山の子供たちを差別をする芦屋小雁の先生に対してストライキを首謀し、それに文句を言いに来る村人役だった。いずれにせよ、岡田さんはその後、なにをなされていたのだろうか、少々気になった。