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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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もう一つの『渡る世間は鬼ばかり』

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先日亡くなられた橋田壽賀子氏の代表作に『渡る世間は鬼ばかり』があるが、もう1本、映画での同名の作品がある。1958年の松竹映画『ボロ屋の春秋』で、サブ・タイトルが『渡る世間は鬼ばかり』なのだ。2006年に阿佐ヶ谷のラピュタで見た時の感想が以下である。
              
ラピュタの昭和の文豪シリーズだが、全く面白くなかった。原作は梅崎春生。「純文学」から中間小説になった時期のもの。監督は中村登だが、全く笑えない喜劇。唯一おかしいのが学校長・渡辺篤史の妾の小山明子で、根っからの二号的女性を演じるのが、全くのミスキャストで笑える。ボロ屋というのは、東京郊外のドイツ人が建てた洋風のボロ屋。持ち主の多々良純が逃亡し、彼に譲渡手付金を払った複数の人間、佐田啓二、三井弘次、小山明子らが移り住み、そこでおきる喜劇。元ネタは、『どん底』や『グランド・ホテル』だろう。子供と居残っている妻が三好栄子で、これが例によってすごい強情。結局、人の良い芸術家の佐田(バイオリン弾き)は、多くの人に騙されたり、たかられたりするが、最後は恋人有馬稲子と結ばれることを暗示する。小山明子も独身の教師・三井と一緒になる。ともかく、一年中この程度の映画に出ていれば、小山明子がバカらしくなり大島渚と結ばれたのも十分に理解できる。多々良が赤穂に逃亡し、佐田と有馬が追いかけてゆき、「義士祭」の子供行列の前で芝居が行われる。その周囲の観客・見物人の数がすごい。この程度の映画で客が来て、一般の人気もあった古き良き時代の産物である。
もちろん、脚本は橋田先生ではないが、この時期には大船にいたのだと思う。あの長い説明芝居は好きになれないが、日本のテレビ界に多大な貢献をされた橋田氏のご冥福をお祈りする。

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