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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『粛正裁判』

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1930年に起きた「産業党」事件の公開裁判の記録。
          モスクワ裁判としては、スターリンの政敵の裁判として有名だが、これは技術者、インテリへのスターリンの弾圧で、私は知らなかった。非常に大きなホールでの公開裁判で、まずは罪状認否が行われるが、被告の全員が自己の有罪を認める。この被告の有罪の告白が異常である。罪状認否というのは、欧米法に特有の制度だそうで、日本にはなく有名なのでは「東京裁判」の冒頭に行われた。当時のソ連がどういう裁判制度を取っていたのか知らないが、これは海外への宣伝裁判だったので、欧米にならった罪状認否をやらしたのだろうか。
被告は、ソ連の科学、技術の指導者たちで、皆ソ連のなんとか会議の役員を務めていたインテリである。有罪の証拠が述べられるが、ついには外国の反ソ連勢力との関係が語られ、フランスのポアンカレー大統領との関係が言われる。もちろん、嘘である。会場は意外にも平穏だが、街頭では、反ソ勢力の撲滅を叫ぶ民衆のデモが行われている。そして、「ボルシェビキ万歳!」を叫んでいる。「あれっ」と思うが、一応この時期は、メンシェビキやエス・エル等のロシア共産党以外の政治勢力も存在していたようだ。検事の求刑は、全員銃殺だが、判決は銃殺刑は指導者だけで、彼らも減刑された。そして、秘密警察で軍事研究に従事させられたとのこと。
これによって、スターリンの反対派弾圧は、政治家、インテリは終了し、この後は軍人、さらに一般の民衆にまで広がって行く。ロシアは、欧州ではなく、アジアだったことがわかるし、さらにスターリンが、ロシアではなく、ジョージアという辺境の田舎者だったことも不幸だったと思える。彼は、共産党非合法化時代は、2000人の党員の本名、組織名、連絡方法を暗記していたそうで、その事務能力が党で発揮されたのだ。私などは、電話番号を記憶しているのは、数人のみだというのに。彼の弾圧、虐殺は、ナチス・ヒトラーの暴虐に比較されるが、そうではなくむしろアジア的な、中国の文化大革命時のインテリへの弾圧や、カンボジアのポルポト政権の暴政、遡れば秦始皇帝の弾圧に近いものではないかと私は思う。大皇帝の民衆への暴虐と言うべきではないだろうか。横浜シネマリン

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