映画界では、不思議なことが起きるが、これもその例だろう。1966年に東映で公開された作品だが、池部プロの製作なのだ。この頃、池部は、東宝での居場所がなくなっていて、松竹での『乾いた花』の後東映での『昭和残侠伝』シリーズで大人気だった。だが、それでも不満があったのだろう、ベトナム戦争のドキュメンタリーを作ってもいる。
この映画は、タイピストの緑魔子と安サラリーマンの川崎敬三は、恋人同士だが金がなくで新婚旅行に、紀州への周遊券を使う始末。行くことになってタイトルが入り、結婚式場のシーンになる。新婦は緑だが、新郎は川崎ではなく、人見きよしだ。このシーンに池部良が出ている。そして、人見は、大会社社長の息子だが、なぜか彼らも周遊券で、紀州に向かう。大金持ちの息子が安売り旅行券を使うのはおかしいが、まあ良いだろう。さらに、川崎敬三も、前の周遊券を使っての新婚旅行で、相手は緑に代わって磯野洋子。緑と人見、川崎と磯野、このカップルの混乱が筋の映画だが、さらに大坂志郎と石井富子の旧婚旅行組が絡んで来る。大坂、白浜、新宮と行き、ついには緑と川崎の仲がばれてしまうが、それでも2組は元通りになって東京に帰る。そして、二年後に、川崎と緑は、冒頭で会っていた寿司屋で再会する。川崎は、一念発起して会社で昇進し、子供もできたとのこと。緑は、バスに乗って郊外の団地に戻る。団地の狭い部屋に、人見は、母親と住んでいる。会社が倒産し、父親も死んだとのこと。緑魔子と人見きよしは、地道に生きていくと決意して終わる。なんとも唖然とするできで、脚本瀬川昌治、監督渡辺祐介も、悪くない人だが、どうしてこんなにつまらない映画になったのか。
理由は、キャスティングで、緑魔子と川崎敬三は上手いが、人見きよしは、役者が不足(役不足ではない)だったと思う。この狂騒的な役は、フランキー堺か財津一郎あたりでないと無理だったと思う。人見きよしの父親役で、岡讓二が出ていた。日活、松竹、東宝の二枚目だったが、戦後は東映にいて、次第に出なくなった俳優で、これがたぶん最後の作品だろう。日本映画専門チャンネル
この映画は、タイピストの緑魔子と安サラリーマンの川崎敬三は、恋人同士だが金がなくで新婚旅行に、紀州への周遊券を使う始末。行くことになってタイトルが入り、結婚式場のシーンになる。新婦は緑だが、新郎は川崎ではなく、人見きよしだ。このシーンに池部良が出ている。そして、人見は、大会社社長の息子だが、なぜか彼らも周遊券で、紀州に向かう。大金持ちの息子が安売り旅行券を使うのはおかしいが、まあ良いだろう。さらに、川崎敬三も、前の周遊券を使っての新婚旅行で、相手は緑に代わって磯野洋子。緑と人見、川崎と磯野、このカップルの混乱が筋の映画だが、さらに大坂志郎と石井富子の旧婚旅行組が絡んで来る。大坂、白浜、新宮と行き、ついには緑と川崎の仲がばれてしまうが、それでも2組は元通りになって東京に帰る。そして、二年後に、川崎と緑は、冒頭で会っていた寿司屋で再会する。川崎は、一念発起して会社で昇進し、子供もできたとのこと。緑は、バスに乗って郊外の団地に戻る。団地の狭い部屋に、人見は、母親と住んでいる。会社が倒産し、父親も死んだとのこと。緑魔子と人見きよしは、地道に生きていくと決意して終わる。なんとも唖然とするできで、脚本瀬川昌治、監督渡辺祐介も、悪くない人だが、どうしてこんなにつまらない映画になったのか。
理由は、キャスティングで、緑魔子と川崎敬三は上手いが、人見きよしは、役者が不足(役不足ではない)だったと思う。この狂騒的な役は、フランキー堺か財津一郎あたりでないと無理だったと思う。人見きよしの父親役で、岡讓二が出ていた。日活、松竹、東宝の二枚目だったが、戦後は東映にいて、次第に出なくなった俳優で、これがたぶん最後の作品だろう。日本映画専門チャンネル