テレビは、今や三流タレントのトークメディア化しているのは、非常に残念なことだ。
かつて映画監督の大島渚は、松竹大船撮影所で助監督をやっていた頃のことを書いている。大庭秀雄監督の作品の撮影をしているとき、大庭監督は次のように言って、一時撮影を中断したそうだ。「この映画は、いつでも撮影できるが、世界タイトルマッチは今日しかないからね」スタッフとキャストは喜んで、テレビに向かってボクシングの世界戦を見たそうだ。これは、テレビが、「遠い場所で起きている事件」を映すメディアであることを表現していると思う。だから、テレビが、他のメディアに優越するのは、事件、事故の中継などのニュース、さらにスポーツの中継である。いま、そこで起きていることを同時的に見せるのがテレビの本質である。これらは、もちろん映画でも行われていたが、同時中継はできないので、映画はテレビに叶わない。今や、テレビは、吉本興業などの三流芸人のトークメディア化したのは、要は予算が掛からないからで、面白くないのは当然である。
かつて映画監督の大島渚は、松竹大船撮影所で助監督をやっていた頃のことを書いている。大庭秀雄監督の作品の撮影をしているとき、大庭監督は次のように言って、一時撮影を中断したそうだ。「この映画は、いつでも撮影できるが、世界タイトルマッチは今日しかないからね」スタッフとキャストは喜んで、テレビに向かってボクシングの世界戦を見たそうだ。これは、テレビが、「遠い場所で起きている事件」を映すメディアであることを表現していると思う。だから、テレビが、他のメディアに優越するのは、事件、事故の中継などのニュース、さらにスポーツの中継である。いま、そこで起きていることを同時的に見せるのがテレビの本質である。これらは、もちろん映画でも行われていたが、同時中継はできないので、映画はテレビに叶わない。今や、テレビは、吉本興業などの三流芸人のトークメディア化したのは、要は予算が掛からないからで、面白くないのは当然である。