『悪魔の手鞠唄』と言っても、市川崑の名作ではなく、ニュー東映で作られたもの。主演は、高倉健で、もちろん金田一耕助を演じる。
歌手の矢代真智子が、故郷に戻る車で殺され、運転手も死ぬ。岡山の鬼首村で、村の有力者の仁礼家の当主は永田靖、長男は大村文武、長女は志村妙子こと大地喜和子で、結構かまとと演技だが、まだ十代だったので当然か。その志村の大学の友人の小野透がやってくるが、矢代から依頼されたとして、健さんの金田一も外車で駆けつけてくる。全員が揃ったところで第二の事件が起き、大村が銃殺される。矢代が歌った「手鞠唄」もあるが、事件とは全く関係なく解決されてしまう。原作は言うまでもなく横溝正史だが、原作と筋が違うのは、当時の推理映画の常識で、「筋が原作と同じだと読者は見に来ない」というので、映画では筋を変えるのが普通だったからだ。
市川崑のはきちんと手鞠唄の謎解きをやっていたが、ここでは全く無視。ただ、私は「反共の闘士」と言われる監督の渡辺邦男が好きで、これも結構面白い。この人は、『シャボン玉ホリデー』でなべおさみがやった「キントトキネマ」の監督のモデルである。非常にせっかちな人で、あるカットが終わって俳優がトイレに行っていたら、次のカットは彼を抜かして撮影してしまったことがあるという。要は、コンテ主義で、きわめて効率的に撮影をする監督だったのだと思う。東宝ストライキの時、スト反対派の首領に担がれたが、本当はマルクス主義者で、映画作りが好きだったのだろうと思う。石井輝男は渡辺から「俺が一番作りたい映画は、マルクスの『資本論』だ」と言われ仰天したそうだ。ともかく、犯人は、かつて永田に一家を滅ぼされたことのある石黒達也である。この二人は、私のお気に入りの俳優なので楽しかった。日本映画専門チャンネル
歌手の矢代真智子が、故郷に戻る車で殺され、運転手も死ぬ。岡山の鬼首村で、村の有力者の仁礼家の当主は永田靖、長男は大村文武、長女は志村妙子こと大地喜和子で、結構かまとと演技だが、まだ十代だったので当然か。その志村の大学の友人の小野透がやってくるが、矢代から依頼されたとして、健さんの金田一も外車で駆けつけてくる。全員が揃ったところで第二の事件が起き、大村が銃殺される。矢代が歌った「手鞠唄」もあるが、事件とは全く関係なく解決されてしまう。原作は言うまでもなく横溝正史だが、原作と筋が違うのは、当時の推理映画の常識で、「筋が原作と同じだと読者は見に来ない」というので、映画では筋を変えるのが普通だったからだ。
市川崑のはきちんと手鞠唄の謎解きをやっていたが、ここでは全く無視。ただ、私は「反共の闘士」と言われる監督の渡辺邦男が好きで、これも結構面白い。この人は、『シャボン玉ホリデー』でなべおさみがやった「キントトキネマ」の監督のモデルである。非常にせっかちな人で、あるカットが終わって俳優がトイレに行っていたら、次のカットは彼を抜かして撮影してしまったことがあるという。要は、コンテ主義で、きわめて効率的に撮影をする監督だったのだと思う。東宝ストライキの時、スト反対派の首領に担がれたが、本当はマルクス主義者で、映画作りが好きだったのだろうと思う。石井輝男は渡辺から「俺が一番作りたい映画は、マルクスの『資本論』だ」と言われ仰天したそうだ。ともかく、犯人は、かつて永田に一家を滅ぼされたことのある石黒達也である。この二人は、私のお気に入りの俳優なので楽しかった。日本映画専門チャンネル