久しぶりに芝居を見に行く。劇団民芸の『ワーニャ、ソーニャ、マーシャと、スパイク』 ロシアの劇作家チェーホフが好きなのは、日本とアメリカだそうである。 ワーニャ、ソーニャ、マーシャとくれば、まさにチェーホフで、ワーニャらの両親がアマチュア演劇をやっていたからとのことで、ソーニャは、二人の養女。全員が演劇好きだが、中ではマーシャだけが、映画スターとして成功し、彼女の金で、皆は生きていて、この15年間は、認知症の両親をソーニャ(白石玉枝)が介護してきた。ワーニャ(千葉茂則)は、なにをしてきたかよくわからないが、最後に自作劇を披露するので、演劇の周辺にいたのだろうが、稼ぎはなく、大女優のマーシャ(樫山文枝)に依存してきた。
ペンシルベニア州の湖に面した邸宅にマーシャらが住んでいるところに、近所で開かれる仮装パーティに、ソーニアが若い男スパイク(岩谷優志)を連れてやってくる。彼女は5回も結婚したのだが、相変わらず若い男と付き合っている。スパイクは、二枚目で肉体も自慢だが、頭はさっぱり。この大女優の浮世離れぶりが笑えるが、樫山はうまく演じている。さらに近所の演劇好きの若い娘がやってきて、この名がニーナとはこれいかに。彼女には、ワーニャは自作の劇を朗読してくれと頼む。マーシャは、白雪姫の仮装をし、ワーニャとスパイクは従者に扮する。そしてマーシャは、この家を売ると宣言し、その相談に来たのだという。いつもは従順なソーニャは、マーシャに従わず、青いラメのドレスを着て「マギー・スミス」だと称し、このとき「ミス・ブロディでアカデミー賞を受けて・・・」などというが、この辺は日本のわれわれにはよくわからないところだが、マギー・スミスが演じた『ミス・ブロディの青春』のことだろう。
仮装パーティーの翌日の午前中に、皆の前で、ニーナがワーニャの劇を朗読するが、これが地球が滅亡し、すべてのものが分子になった状態で、約50億年後のこと。宇宙にいる分子のニーナが説明しているが、そのうちやはり分子のワーニャが昔のことを思い出して饒舌に話し出す。基本的に「昔はよかった」だが、1950年代、60年代のアメリカ文化のことであるのが面白い。ほとんどがテレビで、司祭の説教から、『エド・サリバン・ショー』、『ルシー・ショー』。彼はカソリックではなかったが、司祭の話が面白かったことを言う。次第に熱を帯びてきて、皆あっけにとられるが、特にスパイクはろくに聴いていなくてスマフォでメールでやり取りしている。ワーニャは、ゲイなので、ゲイの芸能人に関心があり、「リン・チン・チン」の少年がゲイだったこと、大スターだったタブ・ハンターはゲイなのに、共演した女優との噂を映画会社から作られて、常に傷ついていて、後に祭司になり、今は清掃人であることなどが言われる。「へえー」という感じだったが、この辺のテレビについての感想はわれわれ日本人とも共通しているなとも思う。当時のアメリカ文化は、日本も同様だが、今から見れば良い時代だったなあと思う。
最後、スパイクは、マーシャの付け人とできていて、彼女の財産を奪おうとしていたことがわかり、彼は付け人と駆け落ちするために家を出て行く。マーシャは、邸宅を売ることを止め、湖畔の家で生きていき、主役でなくとも脇役で生きていくことを決意する。アメリカ人にとっても、50、60年代は良い時代だったのかと改めて思った。紀伊國屋サザンシアター
ペンシルベニア州の湖に面した邸宅にマーシャらが住んでいるところに、近所で開かれる仮装パーティに、ソーニアが若い男スパイク(岩谷優志)を連れてやってくる。彼女は5回も結婚したのだが、相変わらず若い男と付き合っている。スパイクは、二枚目で肉体も自慢だが、頭はさっぱり。この大女優の浮世離れぶりが笑えるが、樫山はうまく演じている。さらに近所の演劇好きの若い娘がやってきて、この名がニーナとはこれいかに。彼女には、ワーニャは自作の劇を朗読してくれと頼む。マーシャは、白雪姫の仮装をし、ワーニャとスパイクは従者に扮する。そしてマーシャは、この家を売ると宣言し、その相談に来たのだという。いつもは従順なソーニャは、マーシャに従わず、青いラメのドレスを着て「マギー・スミス」だと称し、このとき「ミス・ブロディでアカデミー賞を受けて・・・」などというが、この辺は日本のわれわれにはよくわからないところだが、マギー・スミスが演じた『ミス・ブロディの青春』のことだろう。
仮装パーティーの翌日の午前中に、皆の前で、ニーナがワーニャの劇を朗読するが、これが地球が滅亡し、すべてのものが分子になった状態で、約50億年後のこと。宇宙にいる分子のニーナが説明しているが、そのうちやはり分子のワーニャが昔のことを思い出して饒舌に話し出す。基本的に「昔はよかった」だが、1950年代、60年代のアメリカ文化のことであるのが面白い。ほとんどがテレビで、司祭の説教から、『エド・サリバン・ショー』、『ルシー・ショー』。彼はカソリックではなかったが、司祭の話が面白かったことを言う。次第に熱を帯びてきて、皆あっけにとられるが、特にスパイクはろくに聴いていなくてスマフォでメールでやり取りしている。ワーニャは、ゲイなので、ゲイの芸能人に関心があり、「リン・チン・チン」の少年がゲイだったこと、大スターだったタブ・ハンターはゲイなのに、共演した女優との噂を映画会社から作られて、常に傷ついていて、後に祭司になり、今は清掃人であることなどが言われる。「へえー」という感じだったが、この辺のテレビについての感想はわれわれ日本人とも共通しているなとも思う。当時のアメリカ文化は、日本も同様だが、今から見れば良い時代だったなあと思う。
最後、スパイクは、マーシャの付け人とできていて、彼女の財産を奪おうとしていたことがわかり、彼は付け人と駆け落ちするために家を出て行く。マーシャは、邸宅を売ることを止め、湖畔の家で生きていき、主役でなくとも脇役で生きていくことを決意する。アメリカ人にとっても、50、60年代は良い時代だったのかと改めて思った。紀伊國屋サザンシアター