早稲田に入ってうれしかったことに、フランス語の先生が稲田三吉氏だったことだ。
稲田三吉は、アンドレ・ブルトンの『シュールレアリズム宣言』を訳した人で、高校時代から、現代詩を読んでいた私は、大変にうれしかった。授業に出ると、まるでひよっとこ顔で、「とてもシュールレアリストには見えなかった」が。授業の中身についてはほとんど憶えていないが、最初に言われたことはよく憶えている。
皆さんは大学に入って授業の勉強をきちんとすることはもちろんだが、それは三分の一である。残りの三分の一は、クラブやサークルなど、みんなで何かやることである。最後の三分の一は、自分が一人でできること、好きな本を読むことや映画を見る等のこと、この三つをやればいいのではないか、と。大学は、何かを教えるところではない。それは高校で終わりで、大学は勉強の仕方、方法を教えるところだ。たしかに、学者や研究者になる以外の人間が大学でやるべきことはそうだろうと大変に納得した。稲田先生は、非常に良い先生だったが、もう亡くなられたようだ。
稲田三吉は、アンドレ・ブルトンの『シュールレアリズム宣言』を訳した人で、高校時代から、現代詩を読んでいた私は、大変にうれしかった。授業に出ると、まるでひよっとこ顔で、「とてもシュールレアリストには見えなかった」が。授業の中身についてはほとんど憶えていないが、最初に言われたことはよく憶えている。
皆さんは大学に入って授業の勉強をきちんとすることはもちろんだが、それは三分の一である。残りの三分の一は、クラブやサークルなど、みんなで何かやることである。最後の三分の一は、自分が一人でできること、好きな本を読むことや映画を見る等のこと、この三つをやればいいのではないか、と。大学は、何かを教えるところではない。それは高校で終わりで、大学は勉強の仕方、方法を教えるところだ。たしかに、学者や研究者になる以外の人間が大学でやるべきことはそうだろうと大変に納得した。稲田先生は、非常に良い先生だったが、もう亡くなられたようだ。