安倍晋三が首相を辞職するとのこと。
思いだすのは、1980年代に横浜市会議長の秘書をやっていた時に感じたことだ。
それは、「他人に圧力をかけるのは自分の体に良くない」と言うことだ。
私は、四代の市会議長、大久保英太郎、鈴木喜一、相川藤兵衛、松村千賀雄氏の秘書をやらせていただいた。
その時、他人、部下等に様々な形で圧力を掛ける人は、自分の命を短くすると言うことだった。
具体的には一人は、Mという助役がいて、消防局長から筆頭助役にまでなった方だった。
大変にまじめで、職務に精励するのは良いが、会議に市長と一緒に出た時など、「市長の後に出て、次の会場では先に着け」と言うのだから、随行や運転手は大変だった。この方は、助役を辞めた後、比較的早く亡くなられて大変に驚いたものだ。
もう一人は、民社党のS議員だった。
民社党と言うのは、当時も軽くみられる党派で、2月に細郷市長の総決起大会が横浜文化体育館で行われた。
その時、各支持党派の代表が来たのだが、民社党は門司真さんという昔の衆議院議員だったが、受付の職員は門司先生を知らなかった。
それを見て、S先生が激怒された。ようやく各派の代表席に連れて行ったが、怒りは治まらなかったようだ。
その深夜、S議員は脳梗塞で倒れて、半身不随になった。
要は、他人に圧力を掛けることは、反作用で自分にも大きなストレスがかかるのなのだと思う。
安倍政権の評価はいろいろだろうが、大変に矛盾を含んだ政権だったと思う。
政治的には、改憲など右翼的だった。だが、経済政策は、新自由主義と政治性とは異なるものだった。
さらに、経団連に賃上げを要望するなど、まるで「社会主義的」だったが、これは祖父の岸伸介が統制経済派だったからだろうか。
いずれにしても、安倍政権と言うのは、非常に矛盾を内包した内閣だった。
さらに、野党からの森友、加計、桜を見る会問題等への批判、首相のストレスは高まったに違いない。
そして、今度の辞任。
かつてマルクスは言った「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
今回の辞任劇が喜劇かどうかは、まだわからない。
7年の安倍政権の成果としては、アベノマスクを配ったとなるだろう。
思いだすのは、1980年代に横浜市会議長の秘書をやっていた時に感じたことだ。
それは、「他人に圧力をかけるのは自分の体に良くない」と言うことだ。
私は、四代の市会議長、大久保英太郎、鈴木喜一、相川藤兵衛、松村千賀雄氏の秘書をやらせていただいた。
その時、他人、部下等に様々な形で圧力を掛ける人は、自分の命を短くすると言うことだった。
具体的には一人は、Mという助役がいて、消防局長から筆頭助役にまでなった方だった。
大変にまじめで、職務に精励するのは良いが、会議に市長と一緒に出た時など、「市長の後に出て、次の会場では先に着け」と言うのだから、随行や運転手は大変だった。この方は、助役を辞めた後、比較的早く亡くなられて大変に驚いたものだ。
もう一人は、民社党のS議員だった。
民社党と言うのは、当時も軽くみられる党派で、2月に細郷市長の総決起大会が横浜文化体育館で行われた。
その時、各支持党派の代表が来たのだが、民社党は門司真さんという昔の衆議院議員だったが、受付の職員は門司先生を知らなかった。
それを見て、S先生が激怒された。ようやく各派の代表席に連れて行ったが、怒りは治まらなかったようだ。
その深夜、S議員は脳梗塞で倒れて、半身不随になった。
要は、他人に圧力を掛けることは、反作用で自分にも大きなストレスがかかるのなのだと思う。
安倍政権の評価はいろいろだろうが、大変に矛盾を含んだ政権だったと思う。
政治的には、改憲など右翼的だった。だが、経済政策は、新自由主義と政治性とは異なるものだった。
さらに、経団連に賃上げを要望するなど、まるで「社会主義的」だったが、これは祖父の岸伸介が統制経済派だったからだろうか。
いずれにしても、安倍政権と言うのは、非常に矛盾を内包した内閣だった。
さらに、野党からの森友、加計、桜を見る会問題等への批判、首相のストレスは高まったに違いない。
そして、今度の辞任。
かつてマルクスは言った「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
今回の辞任劇が喜劇かどうかは、まだわからない。
7年の安倍政権の成果としては、アベノマスクを配ったとなるだろう。