まえに、横須賀市に沖縄系の人がたくさんいられることを書き、その理由は戦後サイパン等の南方からの引き上げの人が上陸したのが横須賀だったことを書いた。
そこで、なぜ引き揚げ船が横須賀に来たのか不思議だったので、横浜や港湾のことならなんでもご存じのTさんにお聞きした。
その場で答えをいただいた。
それは、戦後浦賀に浦賀引揚援護局があったからだとのことだった。
ここでは、本土への上陸手続きの他、防疫もやっていて、伝染病の問題もあったので、横浜のような人口の多いところではなく、浦賀に置いたのだろうとのこと。
ただ、ここは1950年に金沢の長浜の検疫所に移されたそうだ。
ここには、明治時代から横浜港の検疫所があり、野口英世が勤務していたこともある施設だった。
現在は、横浜市の市民利用施設・長浜ホールとなっている。
そこで、なぜ引き揚げ船が横須賀に来たのか不思議だったので、横浜や港湾のことならなんでもご存じのTさんにお聞きした。
その場で答えをいただいた。
それは、戦後浦賀に浦賀引揚援護局があったからだとのことだった。
ここでは、本土への上陸手続きの他、防疫もやっていて、伝染病の問題もあったので、横浜のような人口の多いところではなく、浦賀に置いたのだろうとのこと。
ただ、ここは1950年に金沢の長浜の検疫所に移されたそうだ。
ここには、明治時代から横浜港の検疫所があり、野口英世が勤務していたこともある施設だった。
現在は、横浜市の市民利用施設・長浜ホールとなっている。