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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『さらばわが愛、北朝鮮』

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1950年代末に、北朝鮮から8人の若者がソ連のモスクワ国立映画大学に留学した。
当時、北朝鮮で起こっていた、金日成首相による反対派の粛清の一環だったようだ。
卒業後、彼らはソ連の各地に派遣される。
中央のモス・フィルムに残れるのは、ほんの少数のエリートだけだかったのだろう。

                    

ある男は、シベリアに派遣される。その都市のテレビ局に職を得て、毎週のニュースやピオニール向けの番組を作る。
だが、党の規制があり、彼は自由な報道を求めて別の共和国の新聞社に行く。そこで、地域の記事を書くと共に、地元の人と芝居を作るなどする。
また、ある男は、カザフスタン行き、映画を作る。
カザフスタンは、非常に他民族に温かいところで、さらにスターリン時代に強制移住された朝鮮人(高麗人)もいて、彼らの協力を得て作品を作る。
カザフスタンは、昔から多くの民族や人が交差したところなので、そうした寛容性があるのだろうか。

この映画の監督は韓国の人なので、彼らを悲劇人のように見なそうとしいる。
「生まれたところを故郷とよぶなら、死ぬところはなんとよぶのか」と。
だが、彼らは悲劇的には見えない。住めば都である。
どこであれ、ともかく作品を作れる自由があったからだろうか。
もし、あのまま北朝鮮にいたなら、金日成体制確立の中で死んでしまったかもしれないからだ。

横浜シネマリン

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