大阪の吉村知事が、ポピヨドンによるうがいが「新型コロナ・ウイルス」に効くと記者会見して問題になっている。
関西の人間には、これを擁護する発言も多いようで驚く。
この吉村知事の発言は、決して偶然のものではなく、日本維新の会の体質に係わっていると思う。
横浜市という地方だが、議会の事務局職員として10年以上勤務した身から見て、維新の体質によく合った事件だと思う。
それは、維新の連中の考えは、現在の議会制度への疑問、物足りなさからきている。
彼らは、おおむね自民党に近い連中だが、そもそも日本の自民党というのが、きわめて特殊な体質を持っている。
戦前の政友会、民政党は、地方の地主や大商人などの、地方の名望家を支持基盤としていて、それらの中から議員も出ていた。
戦後、吉田茂は、その議員の中に高級官僚を入れた。池田勇人や佐藤栄作などである。
総じて言えば、自民党は金持ち喧嘩せず的な体質であり、名を捨てて実を取ることで国民の支持を得てきた。
要は、非常に時間のかかるやり方であり、それに我慢のできない若手も内在するものだった。
そうした連中の中から、大阪維新の会が出てきたと思う。
民主主義は、非常に時間のかかる制度であり、多数決に至るにしても多くの議論と法的な手続きが必要である。
こうしたことは、行政や議会ではなく、民間の企業や団体では必要とされない場合が多い。
なぜなら、それらは一つの存在ではなく、利用者は別のものを選択できるからだ。
キリンが嫌なら、アサヒでもサントリーでもビールはある。
だが、横浜市の他に、新横浜市や第二横浜市はないのであり、市民は横浜市以外に選択はできないからである。
ただ一つの存在である国や自治体においては、国民や市民は、その行政に従うしか方法はないので、そこには民主的で慎重な手続きが必要なのだ。
昔、橋下徹が言っていたような「時には独裁も必要だ」というのは、民間企業や団体では有効だが、国や地方自治体の議会では無効なのである。
こうして連中に行政を任せるのは、常にあの「イソジン吉村」の危険をはらんでいるのだと私は思うのだ。