今村昌平が川島雄三の『相惚れトコトン同志』の助監督だった時、
「川島さん、なんでこうんなくだらない映画を作るんですか」と聞いた。
すると川島は即時に「金のためです」と言ったそうだ。
この『女優と名探偵』も、ややその感じの作品で、期待外れだった。
だが、この前に上映された『松竹映画30年』は、良かった。
1950年、松竹が1920年に映画を作りだしてから30年とのことで、この間の名作をつなげたものなので、面白いのは当然だが。
始まりは、五所平之助の『伊豆の踊子』で、これはすでにトーキーが『マダムと女房』で始められていたが、五所がわざとサイレントで撮ったもので、松井翠声が解説する。松井は、われわれの世代では、ボクシングやプロレスのリング・アナウンサーで知っていた人だが、元は活弁だった。
これを見て驚くのは、この1950年時点で、松竹の代表的監督は、木下恵介と吉村公三郎とされていたらしいことで、小津安二郎ではなかったことだ。小津作品は、『晩春』『父ありき』だけで、最後の結婚式に行く原節子の別れのシーンと親子が釣りをするシーンなど。
木下は『わが恋せし乙女』と『女』、吉村は『暖流』、『わが生涯の輝ける日』、そして作品全体の最後が『安城家の舞踏会』なのである。
これの監督の池田浩郎は、他に大した映画を撮っていないが、インテリだったそうで、その性か、同傾向の原研吉監督の『恋の13夜』が入れられている。もちろん、これは池部良が出ている性だろうが。
意外な作品では、黒澤明の『醜聞』があり、最後のクリスマスイブのシーンで、三船敏郎、山口淑子、桂木洋子が出てくる。
これも黒澤の贖罪意識の強い作品であり、彼はこれや大映の『静かなる決闘』では、彼が戦争に行かなかったことへの贖罪意識を表現していると思う。
女優としては、水戸光子と山口淑子が良く、これは池田監督の好みなのだろうか。
国立映画アーカイブ
「川島さん、なんでこうんなくだらない映画を作るんですか」と聞いた。
すると川島は即時に「金のためです」と言ったそうだ。
この『女優と名探偵』も、ややその感じの作品で、期待外れだった。
だが、この前に上映された『松竹映画30年』は、良かった。
1950年、松竹が1920年に映画を作りだしてから30年とのことで、この間の名作をつなげたものなので、面白いのは当然だが。
始まりは、五所平之助の『伊豆の踊子』で、これはすでにトーキーが『マダムと女房』で始められていたが、五所がわざとサイレントで撮ったもので、松井翠声が解説する。松井は、われわれの世代では、ボクシングやプロレスのリング・アナウンサーで知っていた人だが、元は活弁だった。
これを見て驚くのは、この1950年時点で、松竹の代表的監督は、木下恵介と吉村公三郎とされていたらしいことで、小津安二郎ではなかったことだ。小津作品は、『晩春』『父ありき』だけで、最後の結婚式に行く原節子の別れのシーンと親子が釣りをするシーンなど。
木下は『わが恋せし乙女』と『女』、吉村は『暖流』、『わが生涯の輝ける日』、そして作品全体の最後が『安城家の舞踏会』なのである。
これの監督の池田浩郎は、他に大した映画を撮っていないが、インテリだったそうで、その性か、同傾向の原研吉監督の『恋の13夜』が入れられている。もちろん、これは池部良が出ている性だろうが。
意外な作品では、黒澤明の『醜聞』があり、最後のクリスマスイブのシーンで、三船敏郎、山口淑子、桂木洋子が出てくる。
これも黒澤の贖罪意識の強い作品であり、彼はこれや大映の『静かなる決闘』では、彼が戦争に行かなかったことへの贖罪意識を表現していると思う。
女優としては、水戸光子と山口淑子が良く、これは池田監督の好みなのだろうか。
国立映画アーカイブ