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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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今年のダンスは・・・

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録画しておいた『アッちゃんの ベビーギャング』を見る。
中村勘九郎が、当時いたずらっ子で有名だったことから作られた喜劇である。

                 

勘九郎の父の小林桂樹は、妻の淡路恵子と共に、会社の専務有島一郎の邸宅の向いの家に引っ越してくる。
成城らしいが、まだ道路は舗装されていない。東京でも1961年は、そんな状態だった。
有島の妻は久慈あさみ、妹は浜美枝で、彼女も有島の会社で働いている。コネ入社だろうが、当時はそれは普通だった。
平社員の小林が近所に来たとのことで、彼は有島の碁の相手から、銀座のバーのマダム・坪内三詠子との浮気の誤魔化しまで付き合わされる。
もちろん、有島の浮気はばれて、久慈に激怒されるが、「これは森繁久彌との『社長シリーズ』と同じだな」と思う。
と同時に、このサラリーマンが、上司の相手をさせられるというのは、松竹の戦前の「小市民もの」だなとも思う。
この映画の製作の藤本真澄は、元は松竹にいたので、小津安二郎や島津保次郎の、この手の作品をよく知っていたのだ。
因みに、加山雄三の「若大将シリーズ」も、松竹の若者映画が基である。

この映画は、主人公は勘九郎だが、当時はまだ6歳なので、ドラマの主役にはなっていない。
ただ、久慈あさみらが行く、「慈善パーティ」(会場は当然にも東京会館)でのアトラクションで、『桃太郎』の桃太郎を演じてみせるのが唯一の見せ場で、これは貴重な映像だろう。

最後、夏に海に行きたいと言っていた勘九郎だが、大磯ロングビーチに家族で行った有島一郎一家に比べ、海に行けず、自宅の庭で小林と淡路は水着になり、水道の水を掛け合って水遊びする。
それで、ドドンパで踊るのである。
「1961年は、ドドンパの年だったなあ」と思う。

1950年代のマンボ、チャチャチャの流行から、当時日本では「今年のダンス、リズム・・・」とのことで、流行のダンスが大変に宣伝された。
中川三郎やスマイリー小原などが、テレビの音楽番組で宣伝したものである。
これも、スクスク、サーフィンなどと続き、たぶんランバダあたりで終焉したと思う。

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