1962年の大映映画、監督は瑞穂春海、新国劇の殺陣師だった市川段平(中村雁治郎)と澤田正二郎(市川雷蔵)を描くもの。段平は、新国劇の頭取で、頭取というのは、駄目な役者のなる役だったとのこと。
1960年代以降の日本の演劇界で、新国劇ほど凋落した劇団はないと思う。
私が市役所に入ったとき、職場にSさんという親分的な職員がいて、彼は組合支部の代表もやっていたが、この人は男性には珍しく、芝居が好きで、
「新国劇なんかよく見に行くよ」と言っていた。
それは、新国劇は、辰巳柳太郎、島田正吾を中心として、「男らしさ」を売り物にする集団で、普通の男の人にもファンが多くいたのだ。
だが、1960年代後半は落ち目になるが、それは「ウーマンリブ運動」に象徴される女性の地位向上と無関係ではないと思える。
つまり、「男らしさなんて時代遅れ」という時代になったわけだ。
段平は、酒と女の好きな男で、無学文盲(実際に段平は字が読めなかった)な男として劇団の連中から軽蔑されているが、早稲田出のインテリの澤田正二郎は、その素直で芝居好きの段平を愛している。
段平の『国定忠治』の殺陣は大阪で評判となり、東京でも大ヒットし、全国公演するようになる。
その時、段平のところに、女房のお春(田中絹代)が危篤との手紙が来て、段平が大阪に戻ると家には「忌」の札が貼られている。
この時、澤田は、チャンバラ劇ではなく、新劇的な芝居を志向していて、段平は澤田のもとを去るが、その芝居は『罪と罰』と『父帰る』である。
5年後、京都南座に澤田が来るが、その時、段平は長屋で、中気で寝ていた。おそらく深酒からくる脳梗塞だろう。
段平の様子を知った澤田は、彼の寝床に来る。
段平は、国定忠治が中気になって取り方に捕まる殺陣を、自分の動かない体で演じ、「これが写実の殺陣でっせ」と言って死ぬ。
非常に面白いが、それもそのはず脚本は黒澤明なのだ。
だが、皮肉にも黒澤が嫌ったのは、歌舞伎、そして新国劇もまだ持っていた「型の殺陣」であり、これを破壊したのは、1962年の黒澤明の『用心棒』なである。
1960年代以降の日本の演劇界で、新国劇ほど凋落した劇団はないと思う。
私が市役所に入ったとき、職場にSさんという親分的な職員がいて、彼は組合支部の代表もやっていたが、この人は男性には珍しく、芝居が好きで、
「新国劇なんかよく見に行くよ」と言っていた。
それは、新国劇は、辰巳柳太郎、島田正吾を中心として、「男らしさ」を売り物にする集団で、普通の男の人にもファンが多くいたのだ。
だが、1960年代後半は落ち目になるが、それは「ウーマンリブ運動」に象徴される女性の地位向上と無関係ではないと思える。
つまり、「男らしさなんて時代遅れ」という時代になったわけだ。
段平は、酒と女の好きな男で、無学文盲(実際に段平は字が読めなかった)な男として劇団の連中から軽蔑されているが、早稲田出のインテリの澤田正二郎は、その素直で芝居好きの段平を愛している。
段平の『国定忠治』の殺陣は大阪で評判となり、東京でも大ヒットし、全国公演するようになる。
その時、段平のところに、女房のお春(田中絹代)が危篤との手紙が来て、段平が大阪に戻ると家には「忌」の札が貼られている。
この時、澤田は、チャンバラ劇ではなく、新劇的な芝居を志向していて、段平は澤田のもとを去るが、その芝居は『罪と罰』と『父帰る』である。
5年後、京都南座に澤田が来るが、その時、段平は長屋で、中気で寝ていた。おそらく深酒からくる脳梗塞だろう。
段平の様子を知った澤田は、彼の寝床に来る。
段平は、国定忠治が中気になって取り方に捕まる殺陣を、自分の動かない体で演じ、「これが写実の殺陣でっせ」と言って死ぬ。
非常に面白いが、それもそのはず脚本は黒澤明なのだ。
だが、皮肉にも黒澤が嫌ったのは、歌舞伎、そして新国劇もまだ持っていた「型の殺陣」であり、これを破壊したのは、1962年の黒澤明の『用心棒』なである。