元東宝の俳優だった加藤茂雄さんが、亡くなられたそうだ、94歳。
加藤さんは、鎌倉で生まれ、戦後鎌倉アカデミアに入り、同校が閉鎖された後、東宝の俳優になられた。
俳優と言っても、所謂「大部屋俳優」であり、長い台詞のある役は、東宝時代にはほとんどない。
森繁久彌などの作品で、主人公たちが寿司屋などに行くと、そこの板前で働いていると言った役を演じていた。
1960年代に東宝が製作体制を縮小してからはフリーになり、増村保造監督の『動脈列島』では、最後の方で犯人の近藤正臣が操縦するブルドーザーの脇にいる警官役を演じている。昨年には、初めての主演作『浜の記憶』に出られた。
私が加藤さんと知り合ったのは、栄図書館長の時、栄区で文化イベントをやっている大塚宏さんから依頼されて「栄区にあった大学鎌倉アカデミア」について話したときだった。
鎌倉アカデミアは、戦後鎌倉(光明寺)、そして横浜市栄区(現在の栄区役所の辺り)にあった大学校で、文化・芸術専修の学校だった。
ここを出た人は非常に多く、山口瞳、いずみたく、前田武彦、鈴木清順、高松英夫、広沢栄、津上忠らと言った日本の映画、演劇、文学界で活躍された人たちである。
私は、いずみたくや鈴木清順らの音楽、映像資料を使って鎌倉アカデミアを紹介したが、その時加藤さんも来られて知り合った。
その後、私が『黒澤明の十字架』を出し、その出版記念イベントをした際も来てくれた。
彼は黒澤明の『七人の侍』では、百姓の一人を演じたが、その時、スタッフ、キャストは皆戦争の経験者だった(戦争に行っていないのは黒澤明だけだった)。
その頃、出演者たちと話していたのは
「この黒澤監督のような人が軍隊にいれば、日本は勝つまでもなくとも、一矢は報えたのではないか」だったそうだ。
決して派手で有名な活躍ではないが、日本映画界で貢献された方のご冥福をお祈りしたい。
加藤さんは、鎌倉で生まれ、戦後鎌倉アカデミアに入り、同校が閉鎖された後、東宝の俳優になられた。
俳優と言っても、所謂「大部屋俳優」であり、長い台詞のある役は、東宝時代にはほとんどない。
森繁久彌などの作品で、主人公たちが寿司屋などに行くと、そこの板前で働いていると言った役を演じていた。
1960年代に東宝が製作体制を縮小してからはフリーになり、増村保造監督の『動脈列島』では、最後の方で犯人の近藤正臣が操縦するブルドーザーの脇にいる警官役を演じている。昨年には、初めての主演作『浜の記憶』に出られた。
私が加藤さんと知り合ったのは、栄図書館長の時、栄区で文化イベントをやっている大塚宏さんから依頼されて「栄区にあった大学鎌倉アカデミア」について話したときだった。
鎌倉アカデミアは、戦後鎌倉(光明寺)、そして横浜市栄区(現在の栄区役所の辺り)にあった大学校で、文化・芸術専修の学校だった。
ここを出た人は非常に多く、山口瞳、いずみたく、前田武彦、鈴木清順、高松英夫、広沢栄、津上忠らと言った日本の映画、演劇、文学界で活躍された人たちである。
私は、いずみたくや鈴木清順らの音楽、映像資料を使って鎌倉アカデミアを紹介したが、その時加藤さんも来られて知り合った。
その後、私が『黒澤明の十字架』を出し、その出版記念イベントをした際も来てくれた。
彼は黒澤明の『七人の侍』では、百姓の一人を演じたが、その時、スタッフ、キャストは皆戦争の経験者だった(戦争に行っていないのは黒澤明だけだった)。
その頃、出演者たちと話していたのは
「この黒澤監督のような人が軍隊にいれば、日本は勝つまでもなくとも、一矢は報えたのではないか」だったそうだ。
決して派手で有名な活躍ではないが、日本映画界で貢献された方のご冥福をお祈りしたい。