加藤泰を別にして、東映の監督で好きだったのが、佐伯清だった。
佐伯は、抒情的な作風が良く、東映でも大ヒットの『昭和残侠伝』シリーズを始めた人なのだ。
『昭和残侠伝・一匹狼』を新宿昭和館で見た時、非常に驚いた。
主役の高倉健、池部良、さらに相手役の扇千景、藤純子の他、非常に登場人物の少ない作品で、舞台の町も非常に静謐で静かな雰囲気なのだ。
それはまるで、舞台劇を見ているような感じで、周囲の知り合いに「これは凄い映画だぞ」と吹聴したものだ。
佐伯の作風は、抒情的で淡々としている。
それが最後で、高倉健と池部良の殴り込みのアクションシーンになるので、その対比、転換が良いのだ。
佐伯は、『昭和残侠伝』シリーズを始めた監督なのに、東映での評価は必ずしも高いものだったとは思えない。
それは、中川信夫などとも共通していると思うが、やはり監督といえども外部の評判、有名性が社内の評価に係るのだと言える。
佐伯清は、中川信夫と同様に、関西の小プロダクションで脚本、監督してのキャリアを始めている。
彼は、松山の生まれで、故郷の先輩伊丹万作の弟子となり、映画界に入ったのだ。
伊丹は、基本的に弟子を取らない人だったが、佐伯は唯一の例外だった。
彼は、「佐伯のあんちゃん」と呼ばれて面倒見のよい人で、伊丹のところにあった橋本忍の原稿を、伊丹の死後黒澤明に渡し、それが黒澤の手も入って映画『羅生門』になるのだから、佐伯の果たした役割は大きかったと言える。
ただ、佐伯は中川信夫と同様に人の良い人で、それが低評価になったように思う。
晩年の彼のエピソードで興味深いのは、黒澤明の下で『能』の映画を作る企画があり、当初は、それを佐伯に任せていたが、次第に黒澤自身が口を出すようになり、ほとんど佐伯清のものではなくなったそうだ。
だが、佐伯清は、それについて文句は言わなかったとのこと。
私からみれば、そうした人の好さが、映画界での低評価になったのではないかと思うのだ。
佐伯は、抒情的な作風が良く、東映でも大ヒットの『昭和残侠伝』シリーズを始めた人なのだ。
『昭和残侠伝・一匹狼』を新宿昭和館で見た時、非常に驚いた。
主役の高倉健、池部良、さらに相手役の扇千景、藤純子の他、非常に登場人物の少ない作品で、舞台の町も非常に静謐で静かな雰囲気なのだ。
それはまるで、舞台劇を見ているような感じで、周囲の知り合いに「これは凄い映画だぞ」と吹聴したものだ。
佐伯の作風は、抒情的で淡々としている。
それが最後で、高倉健と池部良の殴り込みのアクションシーンになるので、その対比、転換が良いのだ。
佐伯は、『昭和残侠伝』シリーズを始めた監督なのに、東映での評価は必ずしも高いものだったとは思えない。
それは、中川信夫などとも共通していると思うが、やはり監督といえども外部の評判、有名性が社内の評価に係るのだと言える。
佐伯清は、中川信夫と同様に、関西の小プロダクションで脚本、監督してのキャリアを始めている。
彼は、松山の生まれで、故郷の先輩伊丹万作の弟子となり、映画界に入ったのだ。
伊丹は、基本的に弟子を取らない人だったが、佐伯は唯一の例外だった。
彼は、「佐伯のあんちゃん」と呼ばれて面倒見のよい人で、伊丹のところにあった橋本忍の原稿を、伊丹の死後黒澤明に渡し、それが黒澤の手も入って映画『羅生門』になるのだから、佐伯の果たした役割は大きかったと言える。
ただ、佐伯は中川信夫と同様に人の良い人で、それが低評価になったように思う。
晩年の彼のエピソードで興味深いのは、黒澤明の下で『能』の映画を作る企画があり、当初は、それを佐伯に任せていたが、次第に黒澤自身が口を出すようになり、ほとんど佐伯清のものではなくなったそうだ。
だが、佐伯清は、それについて文句は言わなかったとのこと。
私からみれば、そうした人の好さが、映画界での低評価になったのではないかと思うのだ。