コロナで休館となっていた横浜の映画館が再開したので、伊勢佐木町の横浜シネマリンに行く。
館内は、コロナ対策で、数席おきになっていた。
1969年5月、東大教養学部の大教室で、東大全共闘主催の「焚祭」が行われ、その一つとして三島由紀夫との討論会が行われた。
以前、その音声テープをもらったことがあるが、映像はもちろん初めて。
このイベントの趣旨は、1月に本郷の安田講堂の封鎖解除があり、2月には秩父宮ラクビー上で、民青同盟(共産党系)と大学当局との集会が開かれ、大学入試の中止と封鎖解除、ストライキ解除へと動き、それが実現し、全共闘運動の退潮を食い止めようとするものだったとのこと。
場所は、東大駒場で、駒場は共産党系の民青の支配するところだったが、この900講堂は、中間地帯でイベントができたのだそうだ。
全共闘の意図とは別に、三島が共産党と大学の合意による日常化に反対していたことは、非常に興味深い。
これを見て、あらためて思ったのは、三島由紀夫は、つねにドラマを求めていたということだろう。
太平洋戦争の中での劇的な死(それは夭折だが)ができなかった三島は、以後の戦後の社会の中でも、一貫して求めていたのは、劇的な瞬間だったと思う。
1960年代後半の若者の過激化の中で、三島自身と「楯の会」も、その騒乱の衝突で死ぬことを求めていたのだと思う。
だから、1968年の10月21日の新宿騒乱の時は、三島も新宿に行き、過激派と警察の衝突を見ていたのだ。
三島は、あえて自分の上半身の筋肉を見せるかのように、ポロシャツ姿で一人で壇上に立つ。
全共闘の木村修、小阪修平、芥正彦らが質問し、三島との討論になる。
ここで一番目立つのは、やはり芥で、赤ん坊を背負って三島に盛んに抽象的な質問をする。
全員がタバコをしきりと吸っていて、三島と芥は、ピースである。
芥は言う、「想像力は事物を越える」。
本当によく言うよと思う。彼はホモ・フィクタスという劇団で有名だったが、当時は見ていなかったが、7年前に池袋の東京芸術劇場で見たが、実にひどいものだった。
なにしろ面白くない上に、適当で下品なには本当に驚いた。
彼は、日活ロマンポルノの女優だった中島葵の愛人だったこともある。中島がガンで死んだとき、その死へと向かう骸骨のような彼女の肉体を撮った写真集があり、昔知り合いに見せられた時は、非常に驚いた。
本当の恋人がするべきことなのかと。
このドキュメンタリーを見て最大の違和感は、この当時全共闘の連中が、革命を志していたということだ。
東大全共闘の連中がどうかは知らないが、私の記憶では、当時の過激派の連中で本当に革命ができるなどと思っていた人間はまずいなかったと思う。
この辺は、当時の人間でないと分からないことだと思う。
館内は、コロナ対策で、数席おきになっていた。
1969年5月、東大教養学部の大教室で、東大全共闘主催の「焚祭」が行われ、その一つとして三島由紀夫との討論会が行われた。
以前、その音声テープをもらったことがあるが、映像はもちろん初めて。
このイベントの趣旨は、1月に本郷の安田講堂の封鎖解除があり、2月には秩父宮ラクビー上で、民青同盟(共産党系)と大学当局との集会が開かれ、大学入試の中止と封鎖解除、ストライキ解除へと動き、それが実現し、全共闘運動の退潮を食い止めようとするものだったとのこと。
場所は、東大駒場で、駒場は共産党系の民青の支配するところだったが、この900講堂は、中間地帯でイベントができたのだそうだ。
全共闘の意図とは別に、三島が共産党と大学の合意による日常化に反対していたことは、非常に興味深い。
これを見て、あらためて思ったのは、三島由紀夫は、つねにドラマを求めていたということだろう。
太平洋戦争の中での劇的な死(それは夭折だが)ができなかった三島は、以後の戦後の社会の中でも、一貫して求めていたのは、劇的な瞬間だったと思う。
1960年代後半の若者の過激化の中で、三島自身と「楯の会」も、その騒乱の衝突で死ぬことを求めていたのだと思う。
だから、1968年の10月21日の新宿騒乱の時は、三島も新宿に行き、過激派と警察の衝突を見ていたのだ。
三島は、あえて自分の上半身の筋肉を見せるかのように、ポロシャツ姿で一人で壇上に立つ。
全共闘の木村修、小阪修平、芥正彦らが質問し、三島との討論になる。
ここで一番目立つのは、やはり芥で、赤ん坊を背負って三島に盛んに抽象的な質問をする。
全員がタバコをしきりと吸っていて、三島と芥は、ピースである。
芥は言う、「想像力は事物を越える」。
本当によく言うよと思う。彼はホモ・フィクタスという劇団で有名だったが、当時は見ていなかったが、7年前に池袋の東京芸術劇場で見たが、実にひどいものだった。
なにしろ面白くない上に、適当で下品なには本当に驚いた。
彼は、日活ロマンポルノの女優だった中島葵の愛人だったこともある。中島がガンで死んだとき、その死へと向かう骸骨のような彼女の肉体を撮った写真集があり、昔知り合いに見せられた時は、非常に驚いた。
本当の恋人がするべきことなのかと。
このドキュメンタリーを見て最大の違和感は、この当時全共闘の連中が、革命を志していたということだ。
東大全共闘の連中がどうかは知らないが、私の記憶では、当時の過激派の連中で本当に革命ができるなどと思っていた人間はまずいなかったと思う。
この辺は、当時の人間でないと分からないことだと思う。