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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『夜明けの国』

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1966年に製作された岩波映画の記録映画、監督は時枝俊江である。
作品の一部に、毛沢東と紅衛兵による「文化大革命」の模様が出てきて、私も長い間、文革の宣伝映画のように思っていたが、それは間違いである。
製作の企画が始まったのは、ずっと以前で、スタッフが付いた1966年夏に文革は開始されたのだから。
撮影は、主に中国東北部・満州で行われ、吉林省の瀋陽や長春郊外の村々が撮影されている。
また、鞍山や撫順の鉱山も出てくるが、その大きさはやはりすごい。戦前に日本が満州を王道楽土と誤解したのも無理はない。

農村は人民公社で構成されていて、そこは村の運営から教育から政治教育の場にされているが、さらに地元の工場を作ろうとしている。
肥料や農業機械の工場で、全国規模の国営企業ではなく、地方レベルの企業を作ろうとしている。
また、都市には旋盤の製作工場もあり、そこでは「刃物大王」という模範労働者の生活が取材されている。
家族は、夫婦と子供で、高齢者は公園で年金生活をおくり、子供には保育園もある。
その生活水準は、現在では途上国レベルだが、当時の世界で見れば、まあ中級というべきだろう。
この約10年後の1979年に、私は横浜市の代表団の随行として上海等に行ったが、大体同じようなものだった。

この後、中国はプロレタリア文化大革命になり、夜明けどころか暗黒の時代となるが、それも通過地点だったというべきだろうか。
政治的には、大躍進運動等の失敗で権力を失った毛沢東の、劉少奇、鄧小平ら実務派への復讐だった。
しかし、そうした毛沢東の扇動があったとしても、全国民がその運動に参加していったのは、別の意味が存在したからだったと思う。
ひとつは、当然だが、1949年の新中国建国以後の急速な変化の中でも、遺制など社会には大きな矛盾があり、国民に不満があったことだ。
また、ほとんど古代からほとんど変化がなかったように見える中国の農村の、急速な近代化への反発である。
それは、近代のイギリスで、急速な産業革命の時代に、機械打ちこわし運動「ライダット運動」があったことと同じだろうと思う。
その意味では、文革は、中国が近代化する中で必然的にこうむる過程だったともいえる。
そして、一番の問題は、劉少奇、鄧小平ら実務派が、毛沢東を上回るイデオロギーを形成できていなかったことが大きかったといえる。
やはり、民衆は、実利だけではなく、イデオロギーによって動くことの良い例である。

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