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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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無観客興業を見て 大相撲は・・・

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日曜日に続き、大相撲を見る。無観客興業だが、これを見ていて、無観客の歌舞伎を思いだした。



無観客の歌舞伎とは、1935年に菊五郎の『鏡獅子』を小津安二郎が、戦後カラー映画のテストで、やはり歌舞伎を撮ったもので、いずれもフィルムセンターで見た。
どちらも、当時は大きなカメラを入れて、照明も必要だったので、通常の舞台では撮影できず、興業が終了後に撮ったものだった。
見るとかなり違和感があるもので、それは無観客なので、役者への掛け声や拍手がないことによるものだった。

大相撲もそうで、力士、行事、呼び出し、審判、さらに協会の職員以外に人はいないので、シーンとしている。
逆に、行事や呼び出しの声や所作がよくわかり、力士の力闘に集中できるメリットも感じた。
さらに、これを見てあらためて分かったのは、大相撲も歌舞伎も、観客の参加を前提にできていることだった。
世界の演劇で、観客の中で演じる花道のある舞台はなく、歌舞伎は独自である。
昔、シェークスピア時代の演劇は、張り出し舞台だったらしいが、近代劇では額縁で区切られていて、舞台と客席は明瞭に区切られており、花道での演技もある歌舞伎は極めて例外的である。

ここで、以前にも書いたが、折口信夫の「相撲は演劇である」との説の正しさを再認識する。
相撲にも花道があり、天井の櫓の周りの幕は、劇場の上部にある「一文字幕」と同じ起源なのである。
相撲は、神と精霊の戦いであり、土俵の土を足で踏み固めるのは、土地を清浄化する祈りなので、ぜひ大相撲は「悪霊退散」の祈祷としてやってもらいたいと強く願うものである。

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