1959年に桜映画社で、木村壮十二が監督した児童映画、原作はNHKのラジオドラマで、脚本も筒井啓介。
伊豆の小さな村の小学校に新しい教師が赴任してくる。吉沢久嘉という役者らしいが、見たことがなく、後に声優になった人のようだ。
村の旅館主の松本克平と神主の小笠原章二郎が出迎えて、彼を旅館に拉致して下宿させてしまう。
小笠原と松本は、漁業者の仲間で、ここでは蜜柑農家の山の人間たちと対立していて、子供にまで波及している。
吉沢は、海の子供と山の子供の対立、ケンカを収めようとし、最後は仲良くなると言う話である。
木村壮十二は、戦前はプロキノの委員長から東宝の監督になった人で、戦時中の満州映画協会に、映画大学を作るので来てくれと言われて行った人。
もちろん、戦局の悪化で映画大学はできず、満映は解散し、多くの日本人は帰国することになる。その代表は加藤泰であり、東映京都は、この満州の引き上げ組が主力で、女優の赤木春恵がそうである。
その中で、木村や内田吐夢は帰国を選ばず、中国に残る。
この作品で編集を担当していた岸富美子もその一人で、中国に残り、国交が回復した1950年代末に日本に戻ってくる。
内田吐夢のような大監督はすぐに日本の映画界に復帰できたが、木村や岸などは、劇映画界には戻れず、文化映画で働くことになる。
そして、これもそうだったと思うが、地方の地域団体での「公共上映会」が当時は非常にあり、さらに学校等で上映されたものだと思う。
この映画の精神は、「みな仲良く、他人には親切に、そして互いに助けあえ」で、それは小泉竹中路線以前の日本人の精神だった。
それが、日本維新の会、ホリエモン、村上世彰らによって無にされて来たのが、日本の約20年間の停滞と格差社会の原因だと私は思うのだ。
阿佐ヶ谷ラピュタ
伊豆の小さな村の小学校に新しい教師が赴任してくる。吉沢久嘉という役者らしいが、見たことがなく、後に声優になった人のようだ。
村の旅館主の松本克平と神主の小笠原章二郎が出迎えて、彼を旅館に拉致して下宿させてしまう。
小笠原と松本は、漁業者の仲間で、ここでは蜜柑農家の山の人間たちと対立していて、子供にまで波及している。
吉沢は、海の子供と山の子供の対立、ケンカを収めようとし、最後は仲良くなると言う話である。
木村壮十二は、戦前はプロキノの委員長から東宝の監督になった人で、戦時中の満州映画協会に、映画大学を作るので来てくれと言われて行った人。
もちろん、戦局の悪化で映画大学はできず、満映は解散し、多くの日本人は帰国することになる。その代表は加藤泰であり、東映京都は、この満州の引き上げ組が主力で、女優の赤木春恵がそうである。
その中で、木村や内田吐夢は帰国を選ばず、中国に残る。
この作品で編集を担当していた岸富美子もその一人で、中国に残り、国交が回復した1950年代末に日本に戻ってくる。
内田吐夢のような大監督はすぐに日本の映画界に復帰できたが、木村や岸などは、劇映画界には戻れず、文化映画で働くことになる。
そして、これもそうだったと思うが、地方の地域団体での「公共上映会」が当時は非常にあり、さらに学校等で上映されたものだと思う。
この映画の精神は、「みな仲良く、他人には親切に、そして互いに助けあえ」で、それは小泉竹中路線以前の日本人の精神だった。
それが、日本維新の会、ホリエモン、村上世彰らによって無にされて来たのが、日本の約20年間の停滞と格差社会の原因だと私は思うのだ。
阿佐ヶ谷ラピュタ