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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『常陸坊海尊』

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神奈川芸術劇場で、秋元松代の『常陸坊海尊』をやっているので、見に行く。
演出は、長塚圭史で、ひどいだろうと思ったが、予想通りだった。
秋元の戯曲は、日本演劇史に残る凄いものだが、実は公演されたことは非常に少ない。
1964年に書かれた後、彼女と近かった劇団演技座が、1967年に初演したほか、渡辺浩子がやった他、1997年に蜷川幸雄が世田谷パブリックシアターでやったことしかない。
それは、蜷川演出と今回も白石加代子が演じた主人公の「おばば」を演じる女優がいないからだ。
源氏の源義経伝説の常陸坊海尊と交わって、自分は海尊の血を継承していると言う女性をまともに演じられる女優は、そうはいないからだ。
少なくとも、1960年代の新劇の社会主義リアリズムの演技では不可能だった。

                      

白石は、いつもの怪演で、まさに適役だったが、他の役者には、どこにも本気を感じることができなかった。
要は、この戯曲の意味を感じられなかったからだと私は思う。

長塚は、この戯曲を相対化しようとしているようにみえ、それは仕方ないことだが、もっと別の方法もあったと思う。
最後で、おばばの孫の雪乃の呪縛から逃れようとする神社の神職が逃げるところがソ連なのだから、困ったものだが、1964年ではまあそんなものだろう。
映画『人間の条件』でも、満州の最前線から「ユートピア」と信じてソ連に亡命しようとして射殺される兵隊が出てくるが、当時ソ連は、まだ人類の幸福の場所と思われていたのだ。
大島渚によれば、1950年代の松竹大船撮影所で、「ソ連はいずれ滅びる」と信じていたのは、大庭秀雄監督しかいなかったそうだ。

ただ、最後に、義経を裏切って逃亡した海尊を引き継いで、主人公の啓太も自ら海尊となって旅立つ、というのには多少の感動もあった。
この劇で、一番良かったのは、いつも目立ちたがり屋で、無意味に舞台に出てくる長塚が出てこなかったことである。

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