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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『モントリオール・オリンピック大会』

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第21回オリンピック大会、カナダのモントリオールで開かれた1976年の大会だが、私はこの大会のテレビをほとんど見ていない。
というのは、この年の3年前に大学時代の友人下川博と作った劇団の最活動期で、6月から10月までは劇団のことにかかりっきりになっていた。
勿論、横浜市役所に勤めていて、9時から5時までは関内の事務所に勤務していたが、5時過ぎると関内から根岸線に乗り、秋葉原駅に向かった。
そこには、下川が探してきた、古い木造の2階建てのビルがあり、そこに事務所と劇の発表場所を持っていた。
昼間は、多様な仕事(大体アルバイトだが)をしてきた連中が集まり、連日稽古をしていた。
そして、終われば当然に酒で、定職についていたのは私だけだったので、かなり酒代は負担することになり、50万円以上あった私の貯金は、この3年間で完全になくなった。

この映画は、もちろんカナダ国内向けだろうと思うので、カナダ選手の活躍は大きく取り上げられている。
また、欧州系の国らしく、近代五種、馬術、十種競技などが取り上げられている。

            

この大会のスターは、たけしの「コマネチ」ポーズで有名な、女子体操、ルーマニアのナディア・コマネチであり、その演技はたしかに速くて凄い。
ただ、こうしたスポーツ映像で注意すべきは、映画の場合は、実際より早く見えるからである。
映画のシャッター速度は、1秒24コマだが、これは少し遅く、本当はもう少しコマ数を上げないと正しい速度の映像は得られないのだそうだ。

そして、多くの競技で、ソ連とポーランド、東ドイツ、ルーマニア、チェコスロバキア等の東欧圏の国が対立しているのが興味深い。
NATOに対抗してソ連が作ったワルシャワ条約機構の国々も、この時期になるとそれなりに成長し、ソ連の抑圧を負担と感じていたと想像される。
そして、1990年代には、ソ連の崩壊と東欧諸国の自由化に至ることになるが、その前兆だったのだろうか。

マラソンの優勝者は、東ドイツのチェルピンスキーで、「ああこういう選手もいたな」と思う。
そして、1980年はモスクワと表示されて終わりだが、ソ連のアフガン侵攻で、これに日本は不参加となる。
このマラソンの音楽は、クロード・ガニヨンで、名作『KEIKO』の監督だが、その前にこの映画の音楽をやっていたとは初めて知った。

国立映画アーカイブ

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