1969年に公開された渥美清主演作品、監督は野村芳太郎。
南田松次郎こと渥美が、三池から若松に来て、保護司の医師長門裕之のところに来て、病院で大暴れするが、人間は悪くなく、港で働くことになる。
保護司は、地域に置かれているもので、保護観察中の者に対応する人で、従来は地域の名士がなっていたが、最近はなり手がなく、警察OBが多いようだ。
渥美は、いろいろと問題を起こすが、中で「無法松太鼓コンクール」にでる件があり、映画『無法松の一生』の乱れ打ち等がある。
何度も書いている通り、祇園太鼓は、本来は花柳界の優雅なもので、映画での奏法は、最初の阪妻版の時、監督の稲垣浩が音楽担当と工夫し創作したものである。
話は、病院の事務職員で、キャバレーでアルバイトをしている小林加奈に渥美が惚れていくが、小林は、バンドマンの大野しげひさと引かれて最後は大阪に駆落ちする。
要は、「男はつらいよ」のように渥美清が、マドンナに惚れるが振られる筋書で、この頃、野村芳太郎や山田洋次は、「馬鹿シリーズ」等で、こうした映画をいくつか作っていた。
中で、野村の『拝啓天皇陛下様』、『山田の『なつかしい風来坊』、『吹けば飛ぶような男だが』のような秀作があった。
ここでは、渥美の他、ハナ肇となべおさみが主演だったが、これらを統合したのが、渥美の「男はつらいよ」だったと言えるだろう。
もう一つ興味深いのは、主要人物として、小林の祖父として通船の船長として伴淳三郎が出てくることだ。
意外と思われるかもしれないが、戦前から1950年代まで松竹の喜劇の王様は伴淳三郎だったが、この辺で渥美清と交代するようになったことだ。
この頃から、次第に伴淳は、他社での出演、東京映画での「駅前シリーズ」などに移行していくのである。
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