1967年の松竹映画。監督は野村芳太郎で、脚本は永井素夫と井手雅人。
篠田正浩や西河克己によれば、戦後松竹の指導者の城戸四郎は、小津安二郎の映画について、大きな疑問を持っていたらしい。
だが、大船撮影所のスタッフには、小津の映画は絶対だったようで、小津作品に似た要素がよく出てくる。
それは、小津の『晩春』の娘を嫁に行かせる話であり、遺作『秋刀魚の味』のような旧制高校の同級生の交歓の物語である。
そして、これはどちらも実際の小津にはなかったものなのは皮肉。
野村のこの作品も、東京横山町の繊維問屋の三姉妹の話で、小沢栄太郎と高峰三枝子夫妻には、小畠絹子、香山美子、生田悦子の娘がいて、小畠は、園井啓介を婿に取っていて、小沢らと店をやっている。
そこに、一高時代の同級生の千秋実がやって来て、有望な若者山口崇を連れてくる。
早速、小沢と高峰は、香山との結婚を考えるが、行動的な大学生の生田は、建設会社山口の勤務先の霞ヶ関ビルに遊びに行ったりする。
もう、小津の時代のように、単純に娘を嫁にやるというわけにはいかなくなっていたのだ。
その理由は、1967年といえば、団塊の世代が、そろそろ結婚適齢期になった時期だからだ。
彼らは従来の見合い結婚から同世代同士の「友達結婚」へと移行し始めたからである。
つまり、通婚圏が、地域から学校と職場になったのだが、現在ではネットがもう一つの通婚圏になっているようだ。
慎重な香山と行動的な生田との対比があり、その内に、小沢と千秋の親友で大学以降は九州の伊万里にに行って陶芸家になった「間山」という男がガンで死ぬ話が出てくる。真山は結局出てこない。
そして、その伊万里に生田は行くが、それは「自分は、高峰と小沢との子ではなく、その間山との間の子ではないか」と想像したからである。
伊万里で、自分に似ているという尾崎奈々に偶然に出会い、彼女は真山との間の子で、叔母の岡田茉莉子にあって事情を聞くが、「知らないことのほうが良いこともある」と言って何も言わない。
同時に、高峰も香山に事情を言ったようだが、それも明かされない。
最後、山口崇は、インドネシアに建設事業で行き、いずれ香山美子と結ばれるだろうことを示唆してエンド。
いろいろと苦労して作った映画だと思える。
衛星劇場
篠田正浩や西河克己によれば、戦後松竹の指導者の城戸四郎は、小津安二郎の映画について、大きな疑問を持っていたらしい。
だが、大船撮影所のスタッフには、小津の映画は絶対だったようで、小津作品に似た要素がよく出てくる。
それは、小津の『晩春』の娘を嫁に行かせる話であり、遺作『秋刀魚の味』のような旧制高校の同級生の交歓の物語である。
そして、これはどちらも実際の小津にはなかったものなのは皮肉。
野村のこの作品も、東京横山町の繊維問屋の三姉妹の話で、小沢栄太郎と高峰三枝子夫妻には、小畠絹子、香山美子、生田悦子の娘がいて、小畠は、園井啓介を婿に取っていて、小沢らと店をやっている。
そこに、一高時代の同級生の千秋実がやって来て、有望な若者山口崇を連れてくる。
早速、小沢と高峰は、香山との結婚を考えるが、行動的な大学生の生田は、建設会社山口の勤務先の霞ヶ関ビルに遊びに行ったりする。
もう、小津の時代のように、単純に娘を嫁にやるというわけにはいかなくなっていたのだ。
その理由は、1967年といえば、団塊の世代が、そろそろ結婚適齢期になった時期だからだ。
彼らは従来の見合い結婚から同世代同士の「友達結婚」へと移行し始めたからである。
つまり、通婚圏が、地域から学校と職場になったのだが、現在ではネットがもう一つの通婚圏になっているようだ。
慎重な香山と行動的な生田との対比があり、その内に、小沢と千秋の親友で大学以降は九州の伊万里にに行って陶芸家になった「間山」という男がガンで死ぬ話が出てくる。真山は結局出てこない。
そして、その伊万里に生田は行くが、それは「自分は、高峰と小沢との子ではなく、その間山との間の子ではないか」と想像したからである。
伊万里で、自分に似ているという尾崎奈々に偶然に出会い、彼女は真山との間の子で、叔母の岡田茉莉子にあって事情を聞くが、「知らないことのほうが良いこともある」と言って何も言わない。
同時に、高峰も香山に事情を言ったようだが、それも明かされない。
最後、山口崇は、インドネシアに建設事業で行き、いずれ香山美子と結ばれるだろうことを示唆してエンド。
いろいろと苦労して作った映画だと思える。
衛星劇場