先日見た、勝新太郎の芝居『夫婦善哉 東男京女』は、結構面白かったが、一箇所納得の行かないところがあった。
それは、3幕の大阪(きちんと「おおざか」と言っている)に舞台が移り、宗右衛門町のカフェの場がある。
そこでは、ホットパンツの踊子らがいるのだが、それは良いとして、SPレコードを掛けているらしい蓄音機がラッパ型なのだ。
世間では、昔の蓄音機イコールラッパ型という思い込みがあり、数年前の新国立劇場の芝居でも、戦後の九州のダンスホールの話なのに、蓄音機が電蓄ではなくラッパ型蓄音機でびっくりした。
すぐに当時の芸術監督の宮田慶子宛に手紙を出したが、もちろん、返事はなかった。
勝新太郎の『夫婦善哉 東男京女』は、昭和7年の設定で、蓄音機は1931年に国産の電蓄ができているので、ラッパ型は非常におかしいのである。
豊田四郎監督の映画では、どうなっていたか記憶にないが、こうした風俗施設は、基本的に流行を追う、新しもの好きなので、当然に電気蓄音機を置いているはずなのだ。
さすがの勝新太郎も、戦前の風俗となると気がつかなかったのだろうと推測するものだ。
それは、3幕の大阪(きちんと「おおざか」と言っている)に舞台が移り、宗右衛門町のカフェの場がある。
そこでは、ホットパンツの踊子らがいるのだが、それは良いとして、SPレコードを掛けているらしい蓄音機がラッパ型なのだ。
世間では、昔の蓄音機イコールラッパ型という思い込みがあり、数年前の新国立劇場の芝居でも、戦後の九州のダンスホールの話なのに、蓄音機が電蓄ではなくラッパ型蓄音機でびっくりした。
すぐに当時の芸術監督の宮田慶子宛に手紙を出したが、もちろん、返事はなかった。
勝新太郎の『夫婦善哉 東男京女』は、昭和7年の設定で、蓄音機は1931年に国産の電蓄ができているので、ラッパ型は非常におかしいのである。
豊田四郎監督の映画では、どうなっていたか記憶にないが、こうした風俗施設は、基本的に流行を追う、新しもの好きなので、当然に電気蓄音機を置いているはずなのだ。
さすがの勝新太郎も、戦前の風俗となると気がつかなかったのだろうと推測するものだ。