富山の南砺市、福野で行われている、スキヤキミィーツザワールドに来ている。去年は、腰痛で来られなかったので、2年ぶり。
一応、ワールドミュージックの音楽祭だが、そんなことを問題にしているのは、たぶん事務局だけで、少し変わった 祭としてしか来ている人は考えていないと思うが、それで良い。
やはり変わったところがあり、まずパレードが前は福野駅からだったが、福野の旧商店街からになっていた。
そして、一番大きなのは、土曜日のパレードの後に、植物園フローラルで野外ライブがあったのだが、コンサートは土日とも、ヘリオスの円形劇場になっていた。
たぶん、予算の関係だと思うが、こうした変更の柔軟性も、このイベントの良さである。
コンサートの最初は、いつものスキヤキ・スチール・オーケストラで、坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』から始まったが、非常に繊細な響きを再現していて、私は坂本の曲で初めて感動した。屋外ではなく、ホールなので音がきちんと聴こえるのは良い。
次は、『ボ・ラーレ』で、これはイタリアのドメニコ・モドーニヨが歌い、ビルボードで初めて米英以外の曲が1位になった歴史的な曲である。
その次は、坂本九の『スキヤキ』なので、スキヤキから『ボ・ラーレ』を讃えた洒落かと思ったが、MCが「ジプシー・キングの曲で・・・」と説明されたのには少々がっかりしたが。
次は、タイのモーラムの「ザ・パラダイス・バンコク・モーラム・インターナショナル・バンド」
モーラムというのは、タイの東北部の民俗的音楽で、日本では19992年の東南アジア祭で来た以来だと思う。
この時は、男女の歌手が付き、掛け合いで歌い合うもので、言って見れば「語り物」の音楽だった。日本で言えば、河内音頭のような音楽である。
今回は、歌はなく、タイの民俗楽器、日本の雅楽の笙に似たケーンに、ギター2本にドラム、DJというきわめてロック的な編成。
いつもモーラムを聞くと、どこか音程が狂っているのではないかという感じもする音楽だが、ここでは完全にダンス音楽になっていたのは凄いと思う。
私としては、リードギターの男は、一昔前の表現で言えば「バカ・テクニック」で凄いが、やや出しゃばりすぎで、もっと80歳のケーンのおじいさんの演奏をもっと聴きたかった。
3グループ目は、イスラエルのバンドと言うので、昔横浜でも、サラーム海上さんに講師をやってもらった時に、イスラエルのジャズグループがあり、非常に上手いバンドだったので、これも知的なバンドかと思っていた。
だが、ボーカルのギリ・ヤロは、現在はイスラエルにいるが、元はエチオピア人とのことで、いつものエチオピア音楽のように、日本の演歌のような節回しがあるのは、やはり興味深い
一説では、エチオピア音楽に日本的な要素があるのは、かっての皇帝ハイラ・シラシエが大の日本好きで、大阪に何度も来ていて、あるキャバレーバンドを気に入り、自国に連れて帰り、エチオピアの人々に教えたということがあるのだそうだ。
本当だろうかねと思うが、多分本当だと思う。
ホテルの高岡に戻り、遅い食事をしようと思うと、10時過ぎで飲食店は全部終わり。
飲み屋街は、駅とは異なるエリアになるそうで、仕方ないので、コンビニで食物を買って部屋に戻る。
横浜から八王子、松本、長野、新高岡、そして福野と長旅をしたので、かなり疲れた一日だった。
一応、ワールドミュージックの音楽祭だが、そんなことを問題にしているのは、たぶん事務局だけで、少し変わった 祭としてしか来ている人は考えていないと思うが、それで良い。
やはり変わったところがあり、まずパレードが前は福野駅からだったが、福野の旧商店街からになっていた。
そして、一番大きなのは、土曜日のパレードの後に、植物園フローラルで野外ライブがあったのだが、コンサートは土日とも、ヘリオスの円形劇場になっていた。
たぶん、予算の関係だと思うが、こうした変更の柔軟性も、このイベントの良さである。
コンサートの最初は、いつものスキヤキ・スチール・オーケストラで、坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』から始まったが、非常に繊細な響きを再現していて、私は坂本の曲で初めて感動した。屋外ではなく、ホールなので音がきちんと聴こえるのは良い。
次は、『ボ・ラーレ』で、これはイタリアのドメニコ・モドーニヨが歌い、ビルボードで初めて米英以外の曲が1位になった歴史的な曲である。
その次は、坂本九の『スキヤキ』なので、スキヤキから『ボ・ラーレ』を讃えた洒落かと思ったが、MCが「ジプシー・キングの曲で・・・」と説明されたのには少々がっかりしたが。
次は、タイのモーラムの「ザ・パラダイス・バンコク・モーラム・インターナショナル・バンド」
モーラムというのは、タイの東北部の民俗的音楽で、日本では19992年の東南アジア祭で来た以来だと思う。
この時は、男女の歌手が付き、掛け合いで歌い合うもので、言って見れば「語り物」の音楽だった。日本で言えば、河内音頭のような音楽である。
今回は、歌はなく、タイの民俗楽器、日本の雅楽の笙に似たケーンに、ギター2本にドラム、DJというきわめてロック的な編成。
いつもモーラムを聞くと、どこか音程が狂っているのではないかという感じもする音楽だが、ここでは完全にダンス音楽になっていたのは凄いと思う。
私としては、リードギターの男は、一昔前の表現で言えば「バカ・テクニック」で凄いが、やや出しゃばりすぎで、もっと80歳のケーンのおじいさんの演奏をもっと聴きたかった。
3グループ目は、イスラエルのバンドと言うので、昔横浜でも、サラーム海上さんに講師をやってもらった時に、イスラエルのジャズグループがあり、非常に上手いバンドだったので、これも知的なバンドかと思っていた。
だが、ボーカルのギリ・ヤロは、現在はイスラエルにいるが、元はエチオピア人とのことで、いつものエチオピア音楽のように、日本の演歌のような節回しがあるのは、やはり興味深い
一説では、エチオピア音楽に日本的な要素があるのは、かっての皇帝ハイラ・シラシエが大の日本好きで、大阪に何度も来ていて、あるキャバレーバンドを気に入り、自国に連れて帰り、エチオピアの人々に教えたということがあるのだそうだ。
本当だろうかねと思うが、多分本当だと思う。
ホテルの高岡に戻り、遅い食事をしようと思うと、10時過ぎで飲食店は全部終わり。
飲み屋街は、駅とは異なるエリアになるそうで、仕方ないので、コンビニで食物を買って部屋に戻る。
横浜から八王子、松本、長野、新高岡、そして福野と長旅をしたので、かなり疲れた一日だった。