久しぶりに小津の遺作の『秋刀魚の味』を見る。
面白いところと変なところがある。
時代の変化を感じるのは、女性の生き方である。笠智衆が勤めている会社(川崎の石油企業らしい)では秘書のような女性がいるが、24歳くらいで皆結婚して辞めている。それは、牧紀子で、美人だが演技は今一つだった女優である。
笠の中学時代の友人北竜二が再婚した若い妻は、環三千代で、小津の趣味がわかる。
環は、宝塚出身で、関西のテレビによく出ていたが、なぜか松竹映画にも出ていて、小津のこれや、中村登の『古都』にも出ている。ここでも岩下志麻の友人で、特に意味のない役だが、可愛いので画面が華やかになる。
要は、昔の映画は、美男美女で、『秋刀魚の味』でも、女優は岩下志麻、岡田茉利子、牧紀子、環三千代と美人ばかり、男優も佐田啓二と吉田輝男で、二枚目ではないのは、三上真一郎くらいだろう。
そこに、意味のある演技をする役者として、杉村春子、高橋とよ、中村伸郎、加東大介、東野英次郎、岸田今日子らを配置している。
これを見て、やはり変だと思うのは、中学の教師、ひょうたんと言われている東野が、退職後にラーメン屋(ちゃんそば屋と言っている)をやっていることである。なぜ、旧制中学の教師が、退職後にラーメン屋をやっているのかである。
最初に見たときから変だと思っていた。
だが、小津のサイレント時代の『東京の合唱』を見て、理由が分かった。
それは以下のような作品である。
話は、中学生の岡田時彦と教師斉藤達雄との交流を描くもの。
大学を出て生命保険会社のサラリーマンの岡田は、社長の横暴に怒り、首になってしまい失業者になる。1931年、昭和6年は大変な不況で、町には失業者、ルンペンがあふれていたそうだ。
妻は八雲恵美子、長男は菅原英雄,長女は7歳の高峰秀子で、可愛い。
求職活動中に岡田は、偶然恩師の斉藤に会う。
彼は、教師を辞め、妻の飯田蝶子と洋食屋「カロリー軒」をやっている。
洋食といっても、メニューはカレー・ライスのみ。
岡田は、斉藤に頼まれ店の宣伝の幟旗を持って町を歩いているところを、偶然市電に乗っていた高峰に発見され、八雲も驚く。
家に帰ってきた岡田に、八雲は言う。
「世間に顔向けできないことはしないで下さい」
当時、まだ広告・宣伝業の社会的地位は低かった。今日の電通の興隆を見ると、隔世の感がある。
だが、斉藤には岡田の「就職先を斡旋してもらう義理もあり、店を手伝うことした」との説明に八雲も納得し、
「私も一緒にそこで働こうかしら」と決心する。
ある日、中学の同窓会が斉藤の店で開かれる。
メニューは、ビールで乾杯し、カレーライス1皿で、15銭。これが、戦前の宴会だったのだろうか。
そこに、岡田の勤め先の通知が来る。
栃木県の女学校の英語教師。
岡田と八雲は、東京を離れる寂しさと職を得た喜びに浸り、同級生は寮歌を歌って祝す。
合唱ではなく、斉唱であり、ユニゾンに過ぎないが、まあそれは良い。
これを見て、私には小津の遺作『秋刀魚の味』への疑問が解けた。
『秋刀魚の味』は、笠智衆らが、中学の恩師東野英治郎が学校を退職後、娘の杉村春子とラーメン屋(映画ではチャンそば屋と言っている)をやっているのを見て、笠が婚期を逃さぬように娘の岩下志麻を結婚させようとするものである。
だが、『秋刀魚の味』が作られた昭和37年当時、年金制度はすでに整備されていたので、「教師の笠が、退職後の生活のためにラーメン屋をする必要がないのに、なぜやっているのか」見るたびに不思議に思っていた。
だが、『秋刀魚の味』は、実は戦前の『東京の合唱』の再映画化だったのだ。
戦前の昭和初期は、公務員以外は年金制度も不十分で、映画の斉藤達雄のように第二の人生を自分の手で営む必要があった。
と言うより、戦前の平均寿命は50歳半ばくらいだから、多くの人は退職即死去で、年金制度の必要もなかった。
小津は、『秋刀魚の味』を『東京の合唱』の再映画化で作ったので、そこには時代のズレが生じたのだ。
そのほかにも、小津安二郎の戦後の作品には、「これは戦後ではなく、戦前の風俗では」と思われるシーンが結構ある。
それは、多分再映画化によるものだろう。
小津先生も、時代の変化には疎くなっていたと思うのだ。
面白いところと変なところがある。
時代の変化を感じるのは、女性の生き方である。笠智衆が勤めている会社(川崎の石油企業らしい)では秘書のような女性がいるが、24歳くらいで皆結婚して辞めている。それは、牧紀子で、美人だが演技は今一つだった女優である。
笠の中学時代の友人北竜二が再婚した若い妻は、環三千代で、小津の趣味がわかる。
環は、宝塚出身で、関西のテレビによく出ていたが、なぜか松竹映画にも出ていて、小津のこれや、中村登の『古都』にも出ている。ここでも岩下志麻の友人で、特に意味のない役だが、可愛いので画面が華やかになる。
要は、昔の映画は、美男美女で、『秋刀魚の味』でも、女優は岩下志麻、岡田茉利子、牧紀子、環三千代と美人ばかり、男優も佐田啓二と吉田輝男で、二枚目ではないのは、三上真一郎くらいだろう。
そこに、意味のある演技をする役者として、杉村春子、高橋とよ、中村伸郎、加東大介、東野英次郎、岸田今日子らを配置している。
これを見て、やはり変だと思うのは、中学の教師、ひょうたんと言われている東野が、退職後にラーメン屋(ちゃんそば屋と言っている)をやっていることである。なぜ、旧制中学の教師が、退職後にラーメン屋をやっているのかである。
最初に見たときから変だと思っていた。
だが、小津のサイレント時代の『東京の合唱』を見て、理由が分かった。
それは以下のような作品である。
話は、中学生の岡田時彦と教師斉藤達雄との交流を描くもの。
大学を出て生命保険会社のサラリーマンの岡田は、社長の横暴に怒り、首になってしまい失業者になる。1931年、昭和6年は大変な不況で、町には失業者、ルンペンがあふれていたそうだ。
妻は八雲恵美子、長男は菅原英雄,長女は7歳の高峰秀子で、可愛い。
求職活動中に岡田は、偶然恩師の斉藤に会う。
彼は、教師を辞め、妻の飯田蝶子と洋食屋「カロリー軒」をやっている。
洋食といっても、メニューはカレー・ライスのみ。
岡田は、斉藤に頼まれ店の宣伝の幟旗を持って町を歩いているところを、偶然市電に乗っていた高峰に発見され、八雲も驚く。
家に帰ってきた岡田に、八雲は言う。
「世間に顔向けできないことはしないで下さい」
当時、まだ広告・宣伝業の社会的地位は低かった。今日の電通の興隆を見ると、隔世の感がある。
だが、斉藤には岡田の「就職先を斡旋してもらう義理もあり、店を手伝うことした」との説明に八雲も納得し、
「私も一緒にそこで働こうかしら」と決心する。
ある日、中学の同窓会が斉藤の店で開かれる。
メニューは、ビールで乾杯し、カレーライス1皿で、15銭。これが、戦前の宴会だったのだろうか。
そこに、岡田の勤め先の通知が来る。
栃木県の女学校の英語教師。
岡田と八雲は、東京を離れる寂しさと職を得た喜びに浸り、同級生は寮歌を歌って祝す。
合唱ではなく、斉唱であり、ユニゾンに過ぎないが、まあそれは良い。
これを見て、私には小津の遺作『秋刀魚の味』への疑問が解けた。
『秋刀魚の味』は、笠智衆らが、中学の恩師東野英治郎が学校を退職後、娘の杉村春子とラーメン屋(映画ではチャンそば屋と言っている)をやっているのを見て、笠が婚期を逃さぬように娘の岩下志麻を結婚させようとするものである。
だが、『秋刀魚の味』が作られた昭和37年当時、年金制度はすでに整備されていたので、「教師の笠が、退職後の生活のためにラーメン屋をする必要がないのに、なぜやっているのか」見るたびに不思議に思っていた。
だが、『秋刀魚の味』は、実は戦前の『東京の合唱』の再映画化だったのだ。
戦前の昭和初期は、公務員以外は年金制度も不十分で、映画の斉藤達雄のように第二の人生を自分の手で営む必要があった。
と言うより、戦前の平均寿命は50歳半ばくらいだから、多くの人は退職即死去で、年金制度の必要もなかった。
小津は、『秋刀魚の味』を『東京の合唱』の再映画化で作ったので、そこには時代のズレが生じたのだ。
そのほかにも、小津安二郎の戦後の作品には、「これは戦後ではなく、戦前の風俗では」と思われるシーンが結構ある。
それは、多分再映画化によるものだろう。
小津先生も、時代の変化には疎くなっていたと思うのだ。