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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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大みそかは横浜の映画館で

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31日は、阿佐ヶ谷ラピュタもお休みなので、やっている横浜の映画館を梯子してみることにする。

まずは、若葉町のシネマジャック&ベティ、特に期待はしていなかったが、『日々是好日』は意外なほどにいい映画だった。

   

大学生の黒木華は、挨拶が凄い女性だとの母親の言葉で、近所のお茶の先生樹木希林の家に、田舎から来て東京の大学に行っている多部未華子と一緒にお茶を習うことにする。

先日、放送大学での関西の流派の先生の話だと、昔から日本では女性はお茶を習うことが普通の習慣で、バブル期がピークだったが、その後は大きく減少しているそうだ。

私の母も近所の先生のところで裏千家のお茶を習っていて、私も小学校の頃、遊びで茶席に出たことがあるが、全く記憶がない。

いろいろとおかしなことがあるが、樹木は言う、「考えるのではなく、体で、体が自然に動くようになること」

日本の芸能と同じで、心は問題ではなく、形を真似てゆくのが、お茶でも修行の道なのだ。

そこでは、極端に言えば、心が何を思っているかは問題ではなく、外から見て様になっていれば、それでよいのである。

何事にも積極的な多部は、大学を出て商社で働くが、数年で辞めて田舎で見合い結婚して普通の主婦になる。

一方、黒木は出版社を受けるが落ち、フリーのライターになっていくが、その間もお茶を毎週習っていく。

この二人のやり取りで面白かったのは、ある茶器を手に取っていて多部が「豚?」ときく。

「犬よ、今年は戌年だから」と樹木、すると黒木は聞く、

「これは12年に一度しか使わないの、すると結局3回くらいしか使わないわけね」

「ああ、そうね」と樹木。

要は、無理と無駄の塊であり、非合理なのである。

黒木は、恋をして破れたり、新しい恋を得たりするが、そこでもお茶は、続けていく。

樹木希林の死のことを除いても、非常にできの良い作品だと思う。

特に照明と撮影が非常によく、室内も外も自然に捉えられている。音楽も本来は前衛的らしいが、非常に控えめで良い。

最後、父親の鶴見慎吾が急に死んでしまうが、ここの表現も簡潔で良い。だが、ここで急に黒木の弟が出てくるのは、唯一の欠点だと思う。

終わった後は、下のモーリスで食事したのち、バスに乗って長者町の横浜シネマリンに行き、モス・フィルムの『アンナ・カレーニナ』を見る。

              

トルストイの原作は読んでいないが、びっくりの筋書き。主人公のアンナは、非常に嫌なエキセントリックな女性で非常に驚く。

支配人の八幡さんにお聞きすると、女性の客の中には「良かったわね・・・」と感動している人もいたとのことだが。

原作は露土戦争のはずだが、ここでは日露戦争に代えられていたのはどういう意図なのだろうか。


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