今では、北朝鮮帰還運動を肯定するのかとの批判もある『キューポラのある街』だが、本当はもっと大きな嘘があるのだ。
それは、映画が作られた1962年に、川口の町にはキューポラ-ポラと称される炉はすでに使用されていなかったことだ。
カメラマン姫田真佐久の本に書かれているが、仕方ないので作って撮影したそうだ。
こういうことはよくあり、それは原作が書かれた時と映画化された時代とのズレである。
1950年代末から1960年代初頭は、高度成長時代で、非常に物事が変化したので、こうしたことが起きたのである。
1960年代の比較的リアルな映画を見ると、
「もうこんなことはなかったのではないか」と感じることがある。
年々、当時は物事が大きく変化したので、どこで切り取るかで大きな差異が生まれたのである。
ただ、今見ても『キューポラのある街』は、悪くない映画だが、それは脚本が今村昌平であることも大きいと私は思う。
これは一種の貧乏話だが、きれいごとになっていないのは、今村の力だと思うのである。