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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『吉野の盗賊』

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1955年、松竹京都で作られた高田幸吉主演の時代劇。監督は大曽根辰保、脚本は八住利雄だが、原作は新劇の久保栄である。

要は、前年の東宝の『七人の侍』の成功に刺激されて作られた大型時代劇であり、多数の人馬が出てくる。

原作の久保栄の『吉野の群盗』は、ドイツのフリードリッヒ・シラーの『群盗』から刺激されたものである。

もともと黒澤明の映画『七人の侍』の元は、黒澤自身が書いているように、三好十郎が原作を書き、滝澤英輔監督で、黒澤がセカンド助監督だった『戦国野盗伝』なのである。

つまり、この高田幸吉映画は、久保栄、三好十郎と言う左翼劇作家を挟んで同根なのである。

ただ、ここで重要なことは、室町末期、細川管領の下で奈良の領主を務める鏑木家の当主御橋公には息子が二人いて、正義派の長男は高田幸吉だが、次男の鶴田浩二はひねくれものの悪人である。

この二人の対立、さらに高田の許嫁の姫・久我美子への鶴田の横恋慕が主題である。

                   

鶴田の悪役と言うのは珍しいが、それもそのはず鶴田浩二は、もともと高田幸吉劇団にいて、彼の弟子だったのだから悪役も喜んで演じているのだと思う。見ていると演技がよく似ているのに気づく。

また、高田は、時代の飢饉、百姓の困窮に対する細川や代官等の無策と贅沢から、こうした権力側に疑問を持つ。そして、山形勲と近衛十四郎を首領とする盗賊の群れに入り彼らの力で貧民を救おうとするが、それは自分の家や父への反逆になるので苦悶する。

これは、札幌の富裕な家に生まれながら、プロレタリア劇作家として天皇制国家に反逆した久保栄自身の苦悶のように思える。

久保栄は、劇作家として大変に素晴らしく、また演劇批評も鋭い人で、非常に真面目だったようで、この辺には彼の苦悩が出ているように思える。彼は、ついにはうつ病になり自死してしまうのである。

映画の最後、高田幸吉は代官の軍の手で死ぬが、その時彼は言う、

「われらは死ぬが、第二、第三の盗賊がてくるぞ!」

今の日本は久保栄の思いのようになっているのだろうか。

衛星劇場

 


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